読者様こんにちは、サイト運営者のずんずんです。
しばらく記事更新をお休みしておりました。お待たせしてばかりですみません。

 

簡単に近況報告させていただきます。

 

まず、サイト運営についてお伝えします。
今までは月・水・金に記事更新をしておりましたが、今後は「いついつ更新します」というお約束をしないことにします。今まで「更新頻度」を気にしすぎていたところもありまして、もう少しのびのびと運営していく方針を取らせていただきます。

 

次に私自身についてです。
一言でいえば「今、とても穏やかで安らいだ暮らしをしています」。

 

サイト運営を始めようと決意した約1年前も穏やかさや前向きな気持ちを手に入れていたのですが、さらなる成長を遂げました(と、書くと修行を終えた「悟○」や「ル○ィ」みたいで何だか大げさですが(笑))

 

「静けさとともに暮らしている」とか「穏やかで安らいだ暮らし」という表現を見て「アヤシさ満載(笑)宗教かよ(笑)」と鼻で笑う読者様もいらっしゃるかもしれません。
その気持ちは本当に良く分かります。数年前の私なら「こんなこと書く奴のことは信じられん、静けさって何だ。宗教かよ。簡単に世界が変わるかよ。事実を認めないで忘れましょうとか許しましょうとか言うヤツの仲間か!(笑)」と即座にページを閉じているところです(笑)。

 

毒親問題って本当に終わりがないように思います。
頑張って。努力をして。考えて。自分を変えて。そうすれば多少は楽な暮らしになるのかもしれない、でも、死ぬまで精神的に辛い人生を送らなければいけないのかもしれない。

 

見えない未来への不安と、亡霊のように迫ってくる過去。

 

そして「平穏・静けさ・幸せ」なんて本当は幻想でいつまでたっても手に入らないもの。もしくは「ラッキーな限られた人たちだけが手に入れられるもの」と思い込んでいました。

 

…でもそうじゃなかった。毒親育ちだろうが毒親だろうが、この静けさを感じることが出来るんだ。という確信のような心境? になることができたんです。

 

そしてこの平穏をどうやって、記事にしていこう、読者様に伝えよう。そして今までの記事との兼ね合い。サイトの方向性について。この平穏を確かなものにするための更なる学び。最近はそんなことを考えながら過ごしています。

 

どうしてそんな心境になったの? ー簡単な経緯ー

このサイトをご覧になられるみなさまの中にも
「幸せになるための~とか書いているけれど、サイト運営者も心のどっかでやっぱりイッパイイッパイなんじゃないの? 幸せになんかなれないんじゃない、結局? ねぇ? 病んでんじゃないのホントは。。」という疑いがあるかもしれません。(笑)

 

そしてその疑いの言葉は、私が私自身に投げかけていたものです。

 

2015年10月末、まだ私は「うっすらとした不安」を抱えながら生きていました。
そりゃ、毒親と付き合っていた数年前、子ども時代とは比べられないくらいの幸せな暮らしをしていたのは事実です。
ですが「まだ完璧ではない」という変な思い。「もっと」何かがあるはずだ・何かを成し遂げなければという焦り。時々来る不安や怒り。過去は大人しいけれどいつ、私にナイフを突きつけるんだろう。「この平穏を、幸せを、失いたくない」という気持ちが時々暴れる。

 

このままずっと暮らしていくんだろうな、という一種の諦め。

 

そんな中この静けさをもたらせてくれた一つの出来事が起こります。
それは、夫との激しいぶつかり合いです。

 

記事更新をお休みさせて頂いた当初の理由は、夫婦関係の衝突がありしんどかったからなんです。
(ツイッターではつぶやいていたのですが、私の夫は軽度の双極性障害2型を患っています。その症状と仕事と家庭生活と…でいろいろありました。)
すごくしんどくて苦しくて離婚するか、、、とお互い考え、一気に関係が悪くなっていきました。
もうどうしようもなくて毎日感情と状況に翻弄されていました。

 

「ああ、未来は滅茶苦茶だ。また、不幸に逆戻りするのかな。」
耐えられない不安。堕ちていく。
優しかった夫が一転、暴力的に。病気の症状と理解していながらも苦しい毎日。こんな毎日が続くのは耐えられないでも、「病気を支えられない」自分の存在自体も許せない。離婚する? でも子どもは? 子どもに何て説明する? 子どもが幸せになれないかもしれない。…。などなど日々巡る不安。

 

あまりに酷い不安に晒されたのか、何か「フッ」と全てを手放したような感覚になりました。
もうどーーーーーでもいい。
もうどーーーーーにでもなれ。
これ以上何もかも抱えきれない。

 

自宅で仕事している夫に全てを丸投げ。何にもしない日々。ただ寝る。ご飯も食べない。子どもの迎えも行かない。全てを丸投げ。本当丸投げ。自分がやりたいことだけをする。とは言ってもたいしてやりたいこともない。

 

…悲しいサガ、数日経つとやっぱり家事育児をしようとする自分。子どものために何とかギリギリのところで繕う。でも心はぽっかり、もう何も考えられない。夫の顔色とか病気とか、義母の気持ちも考えなかった。義母にナイショにしていた夫の双極性障害についてもぶちまけてしまう。もうどうにでもなれ。

 

そうこうしているうちに…でも、、やっぱり、、。私は本を買いました。数冊の本。
もう読書したってどうしたってもう、どうしようもないくせに。
でもやっぱり諦められない何かに突き動かされて。

 

私は何か困ったことがあると読書しようとする読書教の信者なんですが(笑)。
読書はやっぱり私を裏切らなかった。

 

数冊の本との出会いやあるサイトとの出会いがあって、、、急に事態は好転しました。
というよりは、状況は何も変わらないんですけれど、自分の内面が大きく大きく変化しました。

 

この心境の変化はきっと、各個人で違うものでしょうから言葉では上手く説明できませんが、
「何が何でも自分を信じてやるんだ」とか「何が何でも幸せになるんだ」みたいな、何かに追われて逃げるように幸せを求める自分ではなくて。状況や出来事を素直に見つめ、日々穏やかに過ごす時間を持てる自分。になれたということです。

 

こう書くと、「感情や出来事に一切左右されない『さとり』のような境地になったのか?!」と誤解される方もいらっしゃるかもしれませんがそうではなくて、今でも時には感情的になったり右往左往したりもします。

ですが「何が起きても大丈夫」と、状況や感情を全てそのままで受け入れられるな、という「確固たる静けさ」みたいなものを手に入れたということです。周りの状況は何も変わっていないんですけれど、やっと楽になれる「認識みたいなもの」を手に入れた、ってことだと思います。説明が難しいですが。

 

ちょっと胡散臭いかもしれません。言葉で何かを伝えようとするのにも限界があると思うんですが、できるだけ「アヤシサ」を匂わせないような(笑)表現で今後この心境についてお伝えしていきたいと考えております。

 

まだ書きたいこともあるんですが、今日はここまでにさせて頂きます。
皆様が待っていてくださることに本当に感謝します。そして、少しでも心おだやかに暮らせる助けになれればと思います。

 

読んで下さりありがとうございました。