私の両親は、自分たちの不幸話・苦労話が大好きです。(他人の苦労や不幸には全く興味ないです。)それを勲章として生きています。楽しみ、ラクをする、幸せ、ありがとう、心地良い、とか言う言葉が大嫌いです。そういう言葉を使う人を弱い人間だ、と思っているそうです(謎)。

 

そして、一握りの幅の狭い幸福(例えば、大きな金額の契約が決まるとか、家の改築工事が決まる)をさらに引き立たせるために、不幸や苦労をしているようです。
・・・不幸が彼らにとっての幸せ。矛盾してますけど。。

 

もちろんその不幸話や苦労話を、子どもをコントロールするために使っています。苦労してこんなに育ててやったのに、です、常套句。
(もう私にとっては無効ですけど(笑))

 

なので喜んで不幸や苦労に飛び込んでいきます。
  • 子どもがいうことを聞かない=不幸・苦労
  • 子どもが思い通りにならない=不幸・苦労
何でもかんでも、不幸か苦労に識別します。

 

違う方向を向いている親と子、だっただけ。

私には理解ができません。徹底的に不幸を好んでいることを。
若い時は、両親を幸せにしたいと考えたこともありました。
でもどだい無理なんです、不幸が好きな人達だから。
本人たちが自ら、幸せを手にしたいと思うまでどうにもできない。

 

毎日、相手の欠点や間違いをあげつらって激しくケンカして、「それが愛情・家族なんだ」と本気で言うふたり。強制的に何かをやらせて、せせら笑って、人をバカにして、お金でしか人の価値を測れなくて、でもそれが「立派な人間」だと思っている。

 

そんな嵐みたいな生活の中にずっといても平気な神経が本当に分からない。
分からないを通りすぎてある意味尊敬してしまう(笑)。
私なら、そんなエネルギー使う生活とっとと逃げ出してしまいます。(逃げましたけど(笑))だって穏やかな暮らしの方がいいもの。

 

こう考えると、親と私の求めるものが全然違ったので、絶縁という結論に至ったのも腑に落ちます。
(絶縁についての記事はこちら→絶縁の経緯、 絶縁する理由
「不幸を追い求める」その人達が悪いとか良いとか言いたいのではなく、ただの性質の違いなんだ、と。「何でそうするのかよく分からないけど、そういう人っているよね~~」と。

 

子ども時代、親の生き方にさんざん付き合ってあげた。もう十分なんです。

 

私は、幸せが好き。
両親は、不幸が好き。

 

両親の生き方は尊重する。
その代わり私の生き方も尊重する、つまり、親には関わらない。不幸は勘弁。

 

相容れないんだもの、仕方ないですね。

 

読んで下さりありがとうございました。