例えば今、何もせずただ毒親のことを考えていたとします。夫婦喧嘩をしているとします。
その時「今、自分はこれを好きだからやっている」と仮定してみます。
(理由や状況はとりあえず一旦置いておきます。)

 

すると
  • いやいや違うだろ(ツッコミ)。これは本当に自分のやりたいことではない! 好きでもない!
  • 自分の時間がいかに「嫌なこと」で満たされているか。
  • 自分にとって「嫌なこと」が「好きなこと」なのではないか(不幸好き体質ではないか)。
  • じゃあ何をしていれば、自分の「本当に好きなこと」なのか。
ということが見えてきます。

 

そしてそれを状況別に使ってみます。

 

  1. 自分を無意識に罰している時(現在のページです。)
  2. 義務的な行為をする時
  3. 止められないことをやっている時(2015.06.14公開予定)

 

無意識に自分を罰する時に考えてみる

 無意識に自分を罰する。よくやる行為です。
(無意識に自分を罰することについてもまたお話しますね。)

 

例えば、夫と喧嘩することで自分を罰している時。

 

普段なら気にならないようなことでイライラしてしまう。
夫にひどいことを言ってからみ、ワザと喧嘩に持ち込んでいる。
自分はそんなつもりないんです。何だか自分をコントロールできない感じでふっかける(笑)。

 

・・・たいてい喧嘩の前には、(何も問題がないのに)やたら不安になりクヨクヨと考えが止まらなくなっていることが多いです。

 

このままでいいのだろうか。仕事できるのだろうか。サイトの記事は役に立っているのだろうか。あの時のあの態度はあれでよかったのだろうか。・・・etc。

 

ダメな自分はいつも毒親に罰されてきた。
そして「私は幸せになってはいけない」という昔の「自分のやり慣れた態度」がムクムクと出てくるんですね。

 

だから無意識に、自分を罰する行為「旦那に訳わからないことで当たって喧嘩をする」→「夫に疎ましく思われるように仕向ける」→「やっぱり私は愛されない」
とかめんどくさい(笑)行為をしてしまう訳です。
(この行為は、毒母の姿そっくりなんですね(笑)。不安な時、自分が保てない時、無意識に母親の真似をしているんです。)

 

で、この一連の行為のどこかで一瞬「これは今、自分の本当に好きなことなのだろうか?」とツッコミを入れてみる。

 

すると「愛されよう、幸せになろうとする私」を阻止する毒母の影(笑)が出て来てる!
この状況は私の望むものじゃない!  ハッと冷静になれます。

 

その後、「どうするのが好きなんだろう?」と問いかければ「夫と仲良くしたい」と答えが出てきます。

 

すぐにはイライラは収まりませんが、とにかく夫に素直に謝る。

 

そして夫に強制的に距離を取ってもらうようにお願いします。(距離と時間を取ればイライラも収まり自分を振り返ることができるからです。)

 

このように何気ない日常にツッコミを入れることで、視点がすこし変えられるかもしれません。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

【ご参考:このように私が考えるようになった、きっかけのことば】
『BASHRペーパーバック1:ワクワクが人生の道標となる』ダリル・アンカ 一部抜粋


『・・・先程から言っているように毎瞬、毎瞬自分がワクワクするようなことをやるということが第一です。・・・みなさんは、ここにいるという事実からして、たぶんここに居るということが今一番ワクワクするんではないかとこちらでは仮定しています。・・・すべての状況、すべての象徴というものは、本当は中立です。・・・あなた自身がそれに意味を与えたものが、あなたに対しての意味となります。』(p102ー105)


アマゾンさんの本概要ページ
(PC・ダブレット向けリンク)バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)
(スマホ向けリンク)バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)