例えば今、何もせずただ毒親のことを考えていたとします。夫婦喧嘩をしているとします。
その時「今、自分はこれを好きだからやっている」と仮定してみます。
(理由や状況はとりあえず一旦置いておきます。)

 

すると
  • いやいや違うだろ(ツッコミ)。これは本当に自分のやりたいことではない! 好きでもない!
  • 自分の時間がいかに「嫌なこと」で満たされているか。
  • 自分にとって「嫌なこと」が「好きなこと」なのではないか(不幸好き体質ではないか)。
  • じゃあ何をしていれば、自分の「本当に好きなこと」なのか。
ということが見えてきます。

 

そしてそれを状況別に使ってみます。

 

  1. 自分を無意識に罰している時
  2. 義務的な行為をする時
  3. やめられないことをやっている時(現在のページです)

どうしてもやめられないことに当てはめてみる

私にはどうしてもやめられないことがありました。

 

それは毒親や自分の欠点や不安や人間についてずっと考えてしまうことです。
「善く生きる」とか「本当の対等って何か」とか「幸せって何か」とか。
学者でもないから解決できるわけではなく、ずっと同じような考えが堂々巡りしている(笑)。

 

考えをやめようとしても延々止まらない。
朝起きてから夜寝るまで。場合によっては眠れない。
止められない。
嫌すぎる。

 

もちろん、精神科に通って楽になれるお薬を処方してもらっていました。
あんまりにも考えるのが嫌で、「毒親のことなんて私の人生の中にはなかった」ふりをして生きていた時もありました。

 

また、「考える態度」は毒親が大嫌いなことでした(笑)。
毒親が考えたくないことをいつも口にするような子。脅威だったんでしょうね。
「お前はオカシイ子」「突然変異の子」と毒親は言いました。
私は「違う!」と反論しながらも心のどこかで「考える自分」を嫌っていたんですね。
「考える自分」でなければ親に愛されるかもしれない、と。

 

ちょっと話は逸れましたが、ここで当てはめてみたんです。
考えすぎる自分が嫌いで嫌いでしかたなかった。でもやめられない。
諦めに近くなってきた。
じゃあもう私は「考えることが好きなんじゃないか?」って。

 

そしたら考える行為が前向きなことなように思えてきたんです。(考える内容が後ろ向きでも(笑))
ここまで考えているってことは何かの為になるんじゃないか。とか。
こじつけだけど、神様が何か与えてくれてるんじゃないかな。とか。
考えをノートにつらつら書き留めることにしました。

 

そして気づいたらサイトになっていました(笑)。

 

自分のやめられないことや嫌なことを「好きだからやっている」と当てはめるだけで違う視点が得られます。

 

パズルゲームをやり過ぎる自分も嫌でした。
「ゲームに依存している自分」じゃなくて「好きでやっている・趣味なんだ」と思った時に楽になれました。堂々と人に言えるようになりました(笑)。

パズルゲーム自体は何も悪くないんですよね。やりながらにして自分が「嫌ってただけ」なんです。

このように何気ない日常にツッコミを入れることで、視点がすこし変えられるかもしれません。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

【ご参考:このように私が考えるようになった、きっかけのことば】
『BASHRペーパーバック1:ワクワクが人生の道標となる』ダリル・アンカ 一部抜粋


『・・・先程から言っているように毎瞬、毎瞬自分がワクワクするようなことをやるということが第一です。・・・みなさんは、ここにいるという事実からして、たぶんここに居るということが今一番ワクワクするんではないかとこちらでは仮定しています。・・・すべての状況、すべての象徴というものは、本当は中立です。・・・あなた自身がそれに意味を与えたものが、あなたに対しての意味となります。』(p102ー105)


アマゾンさんの本概要ページ
(PC・ダブレット向けリンク)バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)
(スマホ向けリンク)バシャール・ペーパーバック1―ワクワクが人生の道標となる (VOICE新書)