自分も親になってみて、改めて親って何なんだろうって思うことがあります。子どもを「保護」し育てる人(保護者)であることはもちろんです。学び? 苦しみ? 人生の厳しさを教えるだけの人? 偉い人? 何? いろいろと考えました。

 

「親だから」子どもは親に○○するべき。って何なんでしょうね。社会では通用しない考え方ですよね。「社長だから俺に○○しろ!」って言ったって通用しない世の中です。パワハラ認定です(笑)。

 

「産んでやったのに」も、人間特有ですよね。「産みたい」から産んだんでしょう?
他の動物は大体が子育て終わったら、親子別々に生きてますよね。それが自然なんじゃないの? ケータイで連絡取らないし(笑)。

 

「親」っていうラベルだけで、尊重されようとする時代は終わるんじゃないかなって考えています。

 

親は子どもの通過点

最終的な結論として、この子(自分の子)にとって、私は通過点なんだろうなと考えるようになりました。

 

というか、通過点になりたい。それくらい軽い存在になりたいなって思います。私(親)のことが気になって、子どもが自由に羽ばたけないのは嫌だからです。

 

今、私の子どもは4つです。ママ~、ママ~、といって膝の上に乗ってくる。でもそれも、あと数年。10年後には、経済的なこと以外で私が子どもを援助できることは少なくなってくる。
「私を求めてくれる時間」は、有限。なので、できるだけ彼の望みを聞いて、もう「育児はお腹いっぱい」ってくらい悔いが残らないように全力で動いている毎日です。

 

14にもなれば、社会のことも自分のことも、たいていのことは自分で判断できる年頃にさしかかります。
自分で考え自分で行動できる。親の庇護の元に、自分の考えを試して「失敗」、「成功」、試行錯誤する時期に入ってくる。見守るしかなくなる。

 

もうそうなってくると本当に、どうしようもない。可愛い子どもは離れていくばかり。
小さい頃はあんなに、自分を慕ってくれたのに。

 

だから毒親は経済力や罪悪感を武器に子どもをそばに置こうとした。
自分がない親は、子どもに依存するしかないから。
老いていくことや、自分にもいつか来る天からのお迎えについての不安に耐えられない。
子どもに執着することで、将来の不安をいくばくか忘れられる。

 

子どもには子どもの人生があって、いつか自分から離れてしまうことを快く思えない。
ずっと自分を敬って欲しい。自分自身も誰も、自分を敬ってくれないから。この心地よさを手放したくない。だから縛るしかなかった。

 

私の母親は、趣味も友だちもいなく、私だけが唯一の話し相手でした。
子どもとして正直重苦しくて、「どうしてお母さんはこんなに毎日楽しくなさそうなんだろう」と思ったことがよくあります。

 

家庭や仕事以外にも、自分の居場所を見つけることが大切なんだなと思春期に入って思いました。こんな暗い母親にはなりたくないな、と。
単純ですが、何かを楽しめる友だちや趣味を見つけて続けていけば、少なくとも母親のようにはならないのではと考えたのです。

 

人として魅力のある人間になること

大人になった子どもが、義務感として私(母親)と会うような関係にだけはしたくないな、と思います。
「親を敬え!」だけでは納得出来ない気持ちは、私が一番良くわかっています。

 

そのためには、私が「一人の人間」として面白みのある、魅力のある、会いたいと思ってもらえる人間になるしかない。

 

それは、決して「理想的」な母親とか、「きちんとした」母親であればいいわけじゃなくて、

 

  • 「理想的な人間」になるのではなく、本来の自分を表現できるようになること。
  • 「自分らしく」「人間臭く」あることを恥じずに生きること。
  • 家庭以外のところで、自分を見いだせる楽しみがあること。
  • 欲求を知り自分を知ること。
  • いつまでも成長していく気持ちを忘れないこと。
  • 等身大の自分を素直に子どもに見せること。
・・・かなと思っています。

 

それでもし万が一、子どもが私とは合わないと感じ離れて生きるとしてもそれはそれ。寂しさに自分が負けないように今から鍛えるしかない。
子どもがいようがいまいが「自分ひとりでも」人生の恵みを受け取り、人生を全うする。充実させて楽しむことができれば、別れも怖くない。かなと考えています。

 

もちろん、子どもにいつか質問されたら、毒親との関係も正直に話そうと思っています。
それも含めて私であり、私の弱点でもあるけれど、私の原点でもある。
私の半生を聞いて、子どもがどう思うかは、本人に任せる。
もしかしたら、「お母さんはひどい」ということを言うかもしれない。でもそう思うのは彼の自由だし、彼の意思だからそのまま受け入れようと考えています。

 

現代は、親子関係、絆、一つになる。何だかそういうものがすごく強調されている時代だと思います。
とってもステキなことです。お互いが愛し愛される存在であるなら本当にステキです。
でもそれには大きな前提があって、きちんとした「信頼関係」や一人ひとりが人間として「尊重されている」からこその絆なんですね。
そういった関係がないところに、理想だけ持ってくると大変なことが起きると思います。力だけの支配関係なのに、「絆がある、信頼関係があると思え」と弱いほうが強制されてしまいます。

 

私は、「私と親」の中には絆が見いだせなかったけれども、「私と子ども」の中に絆を生み出せるように努力したいと考えています。
もし絆を生み出せなかったとしても、せめて「通過点」くらいの軽い存在になって、子どもに負担をかけない暮らしをしたいなと考えています。

 

子どもは恵みです。「産まない」選択肢もある現代です。私の元に来てくれてありがとう、という気持ちで子どもに接することを忘れないように生きていきたいです。

 

読んで下さりありがとうございました。