通信機器(主にケイタイ)のデメリットについて、私の大好きなセネカ著『人生の短さについて』(岩波新書)を引用しながら考えます。

 

通信機器のデメリット
  • 他人に時間を奪われる
    望まないことを聞かされる、相手の問題に巻き込まれる、連絡ある・ない問題
  • 自分の容量以上の人間関係
    惰性の人間関係、ストレスのしわ寄せはどこに?

 

他人に時間を奪われる

『私はよく不思議に思って見ることがあるが、誰かが時間をくれるように求めると、頼まれたほうは、いとも簡単にそれに応ずることだ(p25)』とセネカさんも仰っている通り、

 

電話がかかってくれば、電話に出る。
ごく当たり前の行動すぎて考えたこともなかったけれど、実はその一本の「電話」が自分を煩わせていたんですね。

 

簡単に繋がれるぶん、簡単に時間を奪われる。

 

ましてや器用な人間じゃないわたしです。真剣に話を聞きすぎて疲れたり、相手のために何かを調べてたり。自分に余裕がないくせに、良い人にみられたい、価値のある人間でいなければっていう焦燥感だけで延々と話を聞いてしまったり。。

 

電話がかかってきて、自分が望んでいるかどうかなんて考えることなく、話を聞く。望まないことを聞かされる、相手の問題に巻き込まれる。

 

たとえば「彼氏に浮気された」とか。何も考えずにただ聞く。「聞くのが当たり前な」気がするから。「電話に出ない」のは悪い気がするから。一生懸命慰めたりアドバイスしたりする。そのうちに相手の感情が自分に伝染する。
電話を切った後のもやもや。自分も昔、人に裏切られたことについて妙に思い出す。嫌な気持ちから何も手につかなくなる。ボーッとしてしまう。

 

そして時には呼び出される。間に入ってくれる? と頼まれて断れない。もちろん助け合うことも大切だけれども、今は自分がしんどい。しんどいけど断れない。。。しんどい、って言えない関係ってどうよ? いろいろな問題に巻き込まれてしまう。人の激情がどんどん自分の中に「溜め込まれて」しまう。。

 

そうかと思えば今度は、同じようなことを何度も何度もぶちまけてくる人から着信。(それはまさしく私の親なんですが(笑))
お前、改善する気ないだろ? それ、ただ単に「私で」ストレス発散したいだけだろ? っていう電話。

 

「○○(親戚)がどうのこうので、めちゃ腹たったわーーそれでね…」
「○○してみたら?」と提案しようが、うんうん話を聞こうが何しようが
「でもね、だってね、だからね」と言って私の意見は聞かない。ただ愚痴りたいだけ、自分の気持ちを相手に投げ捨てるだけ。私をなんだと思ってるんだ?

 

感情をぶちまけたい親。気持ちがスッキリしなければ最後、次は「私自身」の行為について散々に言い始める。私は聞き役からサンドバッグに変身(笑)。

 

「それはそうとアンタ、この間こっちで深夜に豪雨が降ったのにアンタはなんの心配の電話してこないのね、ニュースも見ないのか、ダメな娘ね」

あーはいはい。さっきのわたしの聞き方、気に入らなかったんですね。はいはい。こっちでもこないだ震度4の地震ありましたけどニュース見なかったんですかね? 心配しないんですかね? って言えない、もう切りたい。。でも切れない。。

 

ケイタイがなければ着信もなかったし、わずらわされることもなかった。自分に余裕があり、本当に助けてあげたいと思える関係ならば別なのに。自分が辛い時にも「相手のことを思いやって・自分を犠牲にして」電話に出る・話を聞くことが美しいなんて嘘だ。

 

「私が他人の掃き溜めであること」をケイタイが助長していたんですね。

 

それともう一つ、「連絡あるない問題」も時間を奪われる要因ですね。
嫌な人から連絡が来る。うわ、めんどくさい。話したくないけど連絡しないわけにはいかない、どうしよう。
好きな人から連絡がない。あれ、連絡来ないな。嫌われてるのかな。どうしよう。

 

この時間が本当めんどくさい(笑)。
私も知り合ったばかりのママ友から連絡が1日ない時「嫌われてるんだろうか」とか悶々と考えて眠れなかったことがあります。かと思えば親からの着信履歴をみて「(絶縁したのに)今さらなにを話そうと言うんだろ……」と気持ち悪くなったり。

 

そう考え出すとキリがなくなり、気づけば2~3日考えていたり。。。
その2~3日を有意義に過ごせたかもしれない、と思うとモヤモヤしたもんです。

 

自分の容量以上の人間関係

『われわれの力量と、今企てようとしている仕事とを比較検討すべきである。行為者の力量のほうが、仕事の内容を常に上回らねばならぬからである。……また特に人間を選ばねばならぬ。果たして彼らはわれわれの生活の一部を費すに値する人間であろうか。(p84)』

 

自分の容量以上の人間関係を維持しようとしていないか? (上記の『仕事』=人間関係、と当てはめるとよくわかりますね)

毒親はまさしく「自分の容量以上の人間関係」なんですね。ケイタイがあるせいで親と縁が切れず惰性で付き合っている人も多いと思います。また、LINEなどで一旦グループに入ってしまうと、切りたくてもなかなか切れない。既読ついてたら返事しないと、と焦る(笑)。

その容量以上の人間関係をダラダラと・四六時中つなげているのが通信機器なんです。

 

毒親も含め、惰性でつながっている人間関係は本当に疲れます。
同じクラスだから、仕事仲間だから、ママ友だから、っていうグループには極力入らないようにしています。(毒親育ちの私の場合、ここに「家族だから」っていう言葉も当てはまります)

 

「同じクラスだから(家族だから)仲良し・協力する・集まる」はず、という期待がグループ全体(家庭)に流れる。簡単にそういう雰囲気になりますよね。
でも単に「同じクラスだから(たまたま家族だった)」ってことで集まっただけで、考え方や感じ方はもちろんみんな違います。皆が皆正直に話し合える仲でもない。当然気を遣います。

 

誰それが気に入らない、誰それと合わない。誰々が誰々の文句を言っていた。誰が誰をどう思っている。などなど「自分では解決できないこと」がどんどんそのグループ内(家庭内)で生まれてくる。 そしてLINE(家庭内)で流れる人間模様を見るだけでもうお腹いっぱい。疲れちゃいます。

 

何のために、そこに私は所属しているんだろう。

 

仕事関連やママ友なら仕方ない部分もあります。子どもの人間関係も関わってきますから「仕事」と思って割り切って付き合っている部分もあります。

 

あまり好きでもないグループ(実家)。そこで受けるストレスで自分もイライラ。そしてそのストレス、どこで発散するんだろう。
……外でいい顔したいという欲求のために、結局夫・子どもにしわ寄せが。くだらない集まりのために、ごく数人の大切な人が割を食う。『われわれの生活の一部を費すに値する人間=夫・子ども』をチクチク傷つけてしまう人生。
1度、2度ならまだしも、それが毎日だったら……。うーん。

 

私は誰を大切にして誰と幸せに暮らしたいのか、よく考えていなかったんだなと気づきました。
もちろん、心地よいグループならそこにいればいいと思いますが、それ以外は自分自身のためにも大切な人のためにもフェードアウトして賢明でした。
仲良くなれる人とは自然と繋がりが切れないものですし。

 

通信機器があるからこそ、人との繋がりがあまりに簡単だからこそ、自分自身の選択が大切になるんですね。そして時にはそこから逃げて、まず自分を守る必要があるんですね。

 

読んで下さりありがとうございました。

 

【ご参考】本のご紹介(amazonさんへ飛びます)

セネカさんは紀元前後の時代に活躍された方です。約2000年前に書かれた文章にも関わらず、今読んでもためになることばかりです。昔も今も人間ってあんま変わってないんだなぁって思いました。
また『毒親対処法3-8イヤな人と関わりをたつ』のページでもこの本から引用をしていますので、よかったらご覧ください。

(PC・タブレット向けリンク)人生の短さについて (1980年) (岩波文庫)
(スマホ向けリンク)人生の短さについて (1980年) (岩波文庫)