読者様からのよくある質問に「父は、母は、本当に変わらないのでしょうか?」というものがあります。

 

正直申し上げると、何とも言えません。なぜなら、私はお会いしたことのない人を判断できないですし、各親で性格や事情も違うと思います。
それよりも長年付き合ってきた、読者様ご本人が1番よくわかると思います。

 

変わって欲しい、何とか理解して欲しい。
「いつかわかってくれる日が来るだろう」という希望。私もそれを親に対して抱いていました。

心のどこかで「無理なんじゃね?」とささやくもう一人の私の声を無視したまま。
分かり合えない、心が通わない親子関係を、認めたくなかった。
愛のある家庭、愛のある親だと思いたかった、そのために我慢も努力もした。

そして結婚し子どもが産まれ「やっぱり」「もう無理なんだよな」という境地に達しました。

 

希望のうちはまだいい。他人に希望を抱き続けると必ず、それは絶望にかわるから。

 

気持ちを理解して欲しい、家族と仲良くして欲しい、幸せになって欲しい。
一緒に暮らす人にそういう希望を持つのはごく自然なことだと思います。

でも叶わない。叶わない現実を見つめていくのもまた、辛い。
苦い気持ちを持ち続けながら親と付き合うのが、私にとっての「人生」なんだろうか?
いや、それは違う。苦しいけれど、正面から現実を見つめないと。

 

「なぜ親は変わらないのだろう」という考えを違った視点から見てみましょう。
「なぜ」「変わって欲しい」のでしょう。

 

親のことを、家族全体のことを考えているから。
「私の言うようにすれば」親は幸せになるから。

 

かつての私は単純にそう考えていました。

 

でも激しい言い合いが続くばかり。ちっとも良くなりません。そりゃそうなんです。

 

それは結局「自分が心地よくなるために」親に変わって欲しいと願っていたからです。
よくよく考えるとこんな風に思っていました。  
「親が自分の言うような『幸せ』を手にすれば(私は満足)
「親が人の気持ちを理解してみんなと仲良くなれば(私は満足・安心)
「親が変な人間関係を断ったり、お金の使い方を変えてくれれば(私は安心)
などなど。
認めたくありませんでしたが、カッコの中の言葉の方が、私にとっては重要だったんですね。

 

言っていることは正論です。正論なんですけれど、「そうしたい」と思っていない人にとってはただの「自分への攻撃」としか思えないんですね。

 

私だってそうです。
例えば夫に「このツボを買って拝めば、絶対に死なないし絶対に幸せになるから一緒に拝もうよ?」とか言われたら、バカなんじゃないの(笑)って一蹴してしまいます。
私、そんなアヤシイことしなくたって十分幸せだもん! って思います。
でも夫は「ツボを拝むこと」が幸せになるために絶対必要だと本気で思っているんです。

 

結局同じなんです。
「相手の気持ちを尊重すれば仲良くなれる」「お金の使い方を見直せば楽な生活ができる」などなど言ってることは正論でも「その人にとっては全くそうしたいとは思えない」ことを押し付けようとしているんですね。ツボも正論も、そうしたいと思っていない人にとっては「余計なお世話」なんですよね。

 

「地獄への道は善意で舗装されている」。ドイツ・イギリスのことわざ通りですね。

 

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を吞ませることはことはできない」

『本人の意向を無視して「変わること」を強要したところで、あとで強烈な反動がやってくるだけです。……自分を変えることができるのは、自分しかいません(p143)』
(『嫌われる勇気』岸見一郎著、ダイヤモンド社より抜粋)

 

よく、病院に行きたがらない人っていません?
周りからみれば明らかに調子が悪いのに「大丈夫、病院も薬も嫌い」とか何とか言って。
タバコを吸い、暴飲暴食、夜更かし、朝食は抜く、運動しない、などなど体に悪いことオンパレードな人。

 

その後健康診断で「このままだと病気になりますね」って言われたとたん、タバコもやめ、3食きちんと食べ、ウォーキングをし、ウンタラカンタラ。
急に健康に気をつけようとする。まるで別人(笑)。

 

この人にとってみたら健康診断以前は「健康であること」が「自分自身の問題」ではなかったんですね。だから周りから何言われようが平気だし聞く耳も持たなかった。
試験の勉強などもそうだと思います。ヤバいと思えるまで勉強できない。ゲームのほうが楽しいもん(笑)。

 

上記の本から抜粋した通りなんです。
「こうなりたい、ああなりたい」という望みは、結局本人が持っていないとどうにもできないんですね。
毒親の場合もそうなんです。「幸せになる」「子どもの気持ちを理解する」ことを「別にしたいと思っていない」んです。

 

だから、変えようと思っても変えられない。

 

もしかしたら、万が一、そのうち変わるかもしれませんん。
でもそれは「自分自身に問題があった、自分自身を変えなければ」という境地に達すればの話です。相手が「解決したい」と思わない課題は、他人が解決することはできないのです。

 

それまではいくら周りが働きかけても無駄ですし、それよりも自分自身の問題をどうにかするほうが100万倍マシなんですね。自分で自分を変えることの方が簡単だし、生産的です。

 

誰にでもこうであればいいなという理想があります。
でもそれを人に押しつけず、自分が淡々とその理想に近づく努力をする。
自分自身を鍛えて、自分の理想を実践する。
その理想通りになったのならば、それを満喫する。

 

誰かの理想をバカにしない。それはそれで尊重する。
もちろん私の親にも理想があり、それを(私にとっては理解できないものでも)尊重して、干渉しないことが生きていく上での最低限のルールである気がします。
多様性を認める、ということだと思います。

 

そしてそういう態度を貫ける自分でありたいと願う私でありました。

 

読んでくださりありがとうございました。

 

【本のご紹介】(アマゾンさんへ飛びます)
『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』岸見一郎著、ダイヤモンド社

今話題の「アドラー心理学」の火付け役ともいえる本です。フロイトやユングと並ぶ「心理学の三大巨頭」と呼ばれるアドラー心理学では、欧米では絶大な支持を得ているそうです。
アドラー心理学はマンガにもなるほど人気で、関連書籍も多数出ています。

トラウマは存在しない』『あなたの不幸はあなた自身が「選んだ」もの』『「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない』『対人関係のカードは「わたし」が握っている』などなど、強烈な視点をぶつけてきます。新しい考え方と出会いたい方にはすごくおススメな一冊です。

教授と青年との対話形式で書かれており、読みやすいです。また、個人的には「あなたは悪魔だ!」とか「(恋愛話を聞いて)ひゅう!」とかいう青年の反応が面白く、読んでいて笑えます。