私はこのサイトで絶縁絶縁と言っていますが、法的には私は絶縁していません。

 

なぜなら日本では法的に親と子の「縁を切る」方法がないからです。

 

なので私がここで言っている絶縁は「全くの他人のように暮らす」ことです。
連絡しないし、会わないし、関わらない。それだけなんです。
私が一方的に決めて一方的に絶縁したと「思って暮らしている」だけのことなんです。

 

どんなにここで私が叫ぼうとも親との縁は切れない。
親が亡くなれば私にも連絡が来るようになっています。

 

ただ、最後の手段として「相続放棄」という手があります。
親が亡くなった後「親の遺産を相続しない」ことで親子関係を否定することができるようです。(親の「法定相続人」であること=子どもであることの証)

 

しかしこの選択肢は、私の子どもにも適用されてしまうんです。

親より先に私が亡くなっていた場合、私の子ども(孫)に親(祖父祖母)の遺産の相続権が発生します。私が相続放棄していれば、子どもの自身の選択肢を狭めてしまいます。なのでこの制度を利用するかどうか私はまだ決めかねています。

 

単に借金などの負債が多い場合にも、この相続放棄の制度が利用できるようです。

 

詳しくは下記サイトをご参考にしてください。

 

【相続放棄について】「相続放棄とは?」

 

【戸籍など法的な面からのお話】「誰も教えてくれない戸籍の話ー縁を切る?」
※ここで「分籍」のお話が出ています。
単に「親の戸籍から分かれた」というだけで、縁が切れたりする訳ではないと解説しています。
「そもそも縁を切るというのは気分的なもの?」と管理人の方が仰るように、気持ちを晴れやかにするために分籍するのもいいかもしれません。

 

親の面倒をみる?

(私は専門家ではありません。以下ネットや本で調べた知識なのでご容赦ください。弁護士さんに相談するのもいいかもしれません。)

 

法律で親子に関して決められているのは「親が(未成年の)子の面倒を見る(扶養義務)」だけです。
「子が親の面倒を見なさい」という法律はどこにもありません。
(ただし、親が経済的に生活できない場合は金銭的に面倒を見る場合があるらしいです。(子どもに金銭的余裕がある場合))

 

親子関係については、あまり法律が介入していないようですね。

 

「決まりがない」ことで「子ども」には自由にする権利が与えられているようです。
はっきりと指針がない分もどかしさもありますね。

 

逆に言えば「はっきりと」させてない分各個人の自由を尊重しているとも取れますね。(世間がどう言おうと)親の面倒を見るも見ないも個人の自由ですよ、と法律は言っているのではと考えます。

 

私の母親は自分の親の面倒なんてみていませんでした。自分もやっていないようなことを子どもに押し付けるなんて変ですね。そして私も将来子どもに私の面倒を見させる気もありませんし、老後への備えもきちんとしておくつもりでいます。

 

法的に絶縁できないということは、法的に守られているということ

法的に絶縁が認められていないということは「親と絶縁しましたよ」という証拠がどこにもないということです。

 

はっきりとした「絶縁証明書(笑)」が発行されればせいせいするかもしれません。「絶縁証明書」を親にたたきつけられたらどんなにすっきりすることでしょう!

 

でも視点を変えてみると「実質他人のように暮らしている」けれど「お前は親と絶縁しただろう!」と他人に責められる証拠がないということですよね。

いつか「親不孝狩り(笑)」みたいなことがあっても、しらばっくれることができる。
調べても法的な証拠がないから「親不孝なことをした人間」なのかどうか証明できない。

 

証拠がないことで「私は絶縁なんてしていませんよ」と言える余地が残っている。
私の立場を守ってくれている優しい制度なのでは、と私は考えています。

 

自分を責めてしまいがちな毒親育ちに「絶縁の象徴」のような証明書はないほうがいいのかもしれません。

 

独断ですけれど、一つの視点としてご参考になればなと思います。
親子関係がどの程度の距離なのかを法律で決めていないからこそ、自由な距離を選べるということなのでは。と前向きに捉えています。

 

読んで下さりありがとうございました。