毒親はどうして私を愛してくれないのか、大切にしてくれないのか


表題の件、何でなんでしょうね。愛してくれるどころかむしろ、嫌なことを進んでやってくる。

 

「叩くのが愛情」「世間の厳しさを教え込むのが愛情」「親の考えに子どもを従わせるのが愛情」と思い込んでいるから、っていうのもあると思いますが。

 

大人になってわかりました。
愛して「くれない」のではなくて愛「せない」。大切にして「くれない」のではなくて大切に「できない」。
可能なことをケチってやってくれない、出し惜しみをしているのではなく、もともと「できないこと」を私は相手に望んでいたわけなんです。

 

親に何を求めるかは人それぞれだと思います。
一例として私は親に「素直であること」を求めました。私を傷つけた事実をせめて認めてもらえれば。そしてせめて「つらい思いをさせて悪かったね」と一言でも言ってもらえれば。

 

両親は決して自分たちが子どもを傷つけたという事実を認めない。「どんなことがあっても私たちは子どもを愛情深く耐えながら献身的に育てた」という物語を信じている。

 

「親としての価値」みたいなものがあるとすれば。
両親は「傷つけた事実を認めると」その価値が下がると信じていました。親が子どもに謝るものではないと信じていたし、親は間違うことが一つもない神のような存在であるべきと信じていた。それを覆すことは両親、特に父親にとっては死を意味するくらいの屈辱だったんでしょう。

 

だから本当は事実を「認めることができるけどしなかった」「謝ることもできるけどしなかった」のではなくてただ単に「できない」人だった。ってことなんですね。

 

『「親は私のすることを認めるべきだ。ありのままの私を理解し、受け入れるべきだ」。ほんとうにそうだろうか? どうしてそうすべきなのか? 実は親がそうしないのは、できないからだ。……「それはそうだろうが、親が理解して承認してくれなければ、私は居心地が悪いし、幸せになれない」。そうなのか? 親が承認してくれようとくれまいと、あなた自身にどんな違いがあるのか? そういうきちんと検討したことのない想定が、多大のマイナス感情や不必要な不幸の原因となっているのだ。(p113)』
(『ニュー・アース -意識が変わる、世界が変わる- 』エックハルト・トール著、サンマーク出版より抜粋)
 

 


できないことを他人に求める矛盾

で、ですね。ココで少し話がそれますが、

 

うちの夫はパイナップルが食べられません。イガイガするそうです。そして冷蔵庫の扉開けてすぐのところにある漬物を見つけることができません。そうして私がしかたなく、漬物を取りに行きます。

 

最初はわかんなかったんです。

 

何が? って思われたかもしれませんが、
人間内容や程度の差さえあれ「できないことがある」という当たり前のことを無視していた自分がいたってことです。もし私が100m10秒で走れって言われたら死んでもできません。でもそこで「お前は絶対に100m10秒で走れ! じゃないと人として付き合えない」って夫に言われたら私はどうするでしょう。

 

できないもんは、できない。んですね。
できないこと「やれ!」って言われるときの苦しさと言ったら。

 

一昔前の私は「できないことでも頑張って克服するのが素晴らしいことだ!」と思っていました。
親の要求は全てのむ。こんなに頑張りました、こんなにやりました、私は完璧です! って。
嫌な事だろうが何だろうが、かみ砕いて飲み込んで、我慢を続けて、親のために。笑顔を忘れずに。

 

だから自他共に「できないことがある」という事実を認めたくなかった。見つめたくなかった。
だから他人にも完璧を求めた。
「漬物の場所、何でわかんないの? 毎日見てるじゃん! いい加減覚えてよ」
「何で就職活動しないの? 頑張ればいいじゃん」夫を責める。

 

でも心のどこかで「私も朝起きれない」「私も働けない」「ラッキョウ食べられない」できないことがある自分。
自分だけが裁かれないのだろうか。他人は裁くくせに。その矛盾に耐えられなくなった。

 

結局は「お前は完璧であれ」という親の要求と同じこと、を親に求めていたんです。
「親ができないこと=子どもを愛すること」を私は、親に求めて、変われ、と要求していたんですね。

 

そのことに気づけた時に、親が少し分かった気がしたんです。

 

結局は「自分を愛する程度にしか、相手を愛せない」という前提がある中で。
親は、そんなに自分自身を大切にしていなかったし、愛していなかったんだろう。そして「大切にする」「愛する」ということが何なのか知らなかったんだろう、と思います。
(テレビから流れてくる価値観や家族愛みたいなものに、すぐ流されていたからです(特に母親))

 

そしてそれを(世間一般に「美しい」と言われている愛)を「どうしても理解できない」苦しみ、があったんだろうな。
親も「できないこと」を子どもに求められて苦しかったんだろうな。
(愛してほしい、大切にしてほしいという要求は、正論であったとしても。)

 

と慮れたときに、少し切ない気持ちになりました。

 

だからもう、親に愛を求めることはしない。「できないことを無理やりやらせる」両親と同じ考えを実践したいわけじゃない。

 

親をそっとしておこう。自分への愛は自分で育てる、自分を大切にするのは自分の役目。他人に求めるのはもうやめよう。
そう思った私でありました。

 

読んでくださりありがとうございました。
 
 
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「今この瞬間を生きる(=今に在る)」「思考や持ち物や身体は『自分自身』じゃない」「思考や感情をただみつめる」など「さとる(=今この瞬間を嫌わずに、穏やかに生きる)」ためにどうすればいいか言及してあります。


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