自分の問題と親の問題を分ける。
自分の問題と配偶者の問題を分ける。
自分の問題と子どもの問題を分ける。

 

「問題」っていう言葉は、置き換えて考えてみるとわかりやすいです。
「課題」「将来」「やるべきこと」「やらなくていいこと」「それをしないと本当に困るのは誰か」

 

そんなの冷たい、家族なのに水臭い、愛情に欠ける。
誰かが困っているのに助けないなんて非情だ。
他人の問題を自分のことのように思えることが、愛情でしょう?
って言葉が頭をよぎりますね。

 

実際私も「お父さんとお母さんをどうにかして幸せにしてあげる」
「夫が再就職して同じような仕事をするのが彼にとっての幸せ」とか本気で考えていたときがありました。

 

何も、困っている人を見捨てるために問題を分けるのではないのです。
こじれにこじれた人間関係、親子関係を整理するには、まずこの「問題の切り分け」が大事だと、心理カウンセラーの信田さよ子さんも仰っています。

 

『このように問題をスパッと切り分けること、これは親子や夫婦の問題におけるカウンセリングの基本だ。

この切り分けを必要とするのは、家族だけでない。じつは、会社でも友人同士でもご近所づきあいでも、人間関係がこじれているときは、ほとんどがこの切り分けができないことに端を発している。そして切り分けをしないままの関係を続けることが、さらに問題をこじらせていく。(p137)』

『しばしば娘たちは、母の問題を肩代わりしているので重くなっている。彼女たち娘の問題は、母から逃げるか、重さに耐える力をつけるか、だろう。何より、重いと感じる自分を間違っていないと言ってくれる「味方」を見つけることだ。それが娘の問題である。

では、母親の問題は何だろう。娘へのしがみつき、愚痴の垂れ流し、異様なほどの依存……数々あるが、それも含めて母の人生は母自身に引き受けてもらうことだ。引き受けるのは、断じて娘ではない。なぜならそれは母の「責任」というおまけつきの問題なのだから。

これはどこかアルコール依存症の夫をもつ妻たちの切り分けに似ている。「飲む飲まないは夫の問題」と同じく、「母の人生、母の問題」なのである。(pp153-154)』

(以上『タフラブという快刀』信田さよ子著、梧桐書院より抜粋)

 

どの人がどの程度どの問題を引き受けることができるのか見極めるために、
自分の問題を他人に丸投げして楽している人に問題を返すために、
引き受けすぎて疲弊している人をなくすために、
分けるんですね。

 

そして「自分自身の力を見直すために」「自分の人生が誰のものなのかはっきりさせるために」するんです。
自分の力量以上のことを引き受けながら幸せに、穏やかに暮らせないと私は考えています。

 

付け加えれば、他人の問題を他人に返すことは「信頼」でもあると思うのです。
「あなたには自分の問題を自分で解決する力があるんです」その力を放棄してきた人に気付かせる。その人の力を信じてみる。

 

ちょっと昔の私なら「あれもできてこれもできてそれもできて」と何でもやろうとしていました。
そこに変な快感もあったんです。「私は何でもできるスーパーウーマン」みたいに思わなければ、誰かの役に立っていなければ「私自身」が存在していいと、とても思えなかったからです。自分の心と身体が悲鳴をあげていようがガン無視して頑張り続けました。

 

そして皮肉なことに、私は「できない人」「困った人」がいないと成立しない人だったんですね。
私がそういう人を求めていたんです。

 

何でもかんでも引き受けながら、雪だるま式に増えていく自分と周りの環境への不満。
爆発しそうでした、というか爆発して灰になってしまいました笑。
灰になってやっと分かったのですが、私は「色々なことを引き受け過ぎていた」んだって。

 

そりゃ穏やかになんてなれないわ。

 

両親の夫婦喧嘩の仲裁。母親をなだめること。年の離れた弟に何があったか説明すること。
夫には仕事だけやってもらう。私は夫の仕事も手伝う。その上家事育児義実家と仲良くやるその上趣味もある程度して美容にも気を遣って……etc。
もう、そんなことしなくたっていいんだって、この歳になってやっとわかりました。

 

それはやっぱり、色々抱えている(ように見える)私の問題は実は「私の問題ではなかった」と気づけたからだと思います。

 

ちょっと話がそれましたが、穏やかに暮らすためには
まず「何が誰の問題なのか」を整理する必要があるんですね。

 

「生きる」ことを分けてみる

自分自身の問題を誰かから奪われる。
(進路を決められる、結婚相手を決められる、など)

 

自分自身の問題でないのに、解決を求められる。
( 夫婦喧嘩の仲をとりもつ、母親の機嫌をとる、親の借金を返す、など)

 

どっちももやっとしますね、というか「もやっ」とかいう可愛い言葉では表現しきれないほどの怒涛の感情が湧き出ます笑。

 

それくらいの大きな問題だと分けやすいかなって思いますが、もっと踏み込んで「生きる」っていうレベルのことから分けていったら、すごく色々なことがみえてきました。
ああ、私は他人に生かされているけど、他人を「生かしてもいる」んだなぁって。

 

「生きる」ためには、自分自身には何が必要で、何をしなければいけないのか。
※「しなければいけないのか」と言うと義務のように聞こえますが、「生きる」って結局「死なないため」にやっていることもあるので、こういう表現にしました。死ぬようなことしちゃ、生きていけないもんね笑

 

(大きく分けて)
ご飯を食べる
寝る
体温調節できる程度の服を着る
雨風しのげる家に住む
暖をとる、涼む
身の周りを清潔にする(自分の身体、部屋)
身体の調子を整える
温かい人間関係がある
楽しいこと心を満たすことをする
そしてそれを維持するだけのお金

 

各項目には細かい作業が入ります。
ご飯を食べるには食材を買ってくる、調理する、食器を用意する、食器を片付ける、調理道具や食器を買ってくる、作らないにしてもお惣菜を買ってくる、そしてそのためのお金を稼ぐ、などに分けることができます。

 

ここまで細かく分けたのには理由があります。そのきっかけは夫と家事分担で揉めたことです。
私は毒親と絶縁はしましたが、結局誰かの問題を引き受けすぎる態度が変わっておらず、いつもいっぱいいっぱいでした。

 

そもそも、夫がその日一日「何を着て何を食べて何をするか」ということは全くもって「夫自身の問題」なんですよね。それを一旦夫に返したんです。

 

「ご飯作って食べることも服を洗濯して清潔を保つことも本来はあなた自身の問題だよ。全部お前がやれとは言わないけど、家事をすることはあなたが生きるための問題なんだから、もうちょっと考えてみて」

 

もちろんこんなこと言ったからには凄い喧嘩になりましたし、夫も怒りました。
でも私は自分の問題は自分でこなし、そして他人(子ども2人と夫)の問題も自分でこなすことに限界がありました。

 

そうして長い時間をかけて話し合い、お互いが納得し合う家事分担にして暮らしたところ、、、、

 

私がすごく穏やかになって、毎日が楽しくなった。些細なことでイライラしなくなった。
それを見て夫も子どもも嬉しそう。
そして夫も安い食材を探してきては「けっこう買い物上手だろう?」といって楽しそうにしている。
家事を負担することで夫にも自信がついてきたんですね。

 

そして私も、自分が今できないことで負担してもらっていること
(お金を稼いでもらっていること、そのお金を使わせてもらっていること、読書の虫の夫からいろいろな情報を教えてもらっていること、車の運転をしてもらっていることなど)
がとてもありがたいことなのだなぁと改めて実感したのでした。

 

ああ、当たり前に思っていたけれど、私は支えてもらっているんだなぁって。

 

各々が自分の問題に取り組む。自分に集中する。

 

自分の問題を自分でやってその先に「自分で頑張ってみたけどやっぱりうまくできない」「体の機能的にできない」ということが見つかる。それは誰かに頼めばいい。でも「自分で頑張ってみた」経緯があるから、自然と助けてくれた人に感謝の気持ちが湧く。
「(自分の問題なのに)やってくれてありがとう、助けてくれてありがとう」

 

読んで下さりありがとうございました。

 

【続き】自分と他人の「問題」を分けるー2.親を幸せにするのは、誰の問題?

 

【ご参考】(リンクはAmazonさんに飛びます)

タフラブという快刀
私の大好きな信田さよ子さん著の本です。信田さんの家族問題をバサッと斬ってくれる語り口調が大好きです。
絡み合った人間関係は「誰の問題か」を分けることから始まると説いています。
家族が上手くいかない厳しい現実から目を背けず、向き合っていくためにどうすればよいか?
「理解の断念」「ニュースキャスターのように伝える」など斬新な提案がとってもためになりました。
是非読んでもらいたいオススメの本です!!