私の母は、いつも「あんたはいいよねぇ」と言っていた。「子どもはいいよね気楽で」「料理上手くていいよね」「器用でいいよね」
ただ、機嫌が悪くなると悪口に豹変。。。「あんたちょっと料理上手い・器用だからって調子に乗るなよ」とブチ切れ。
料理を作って「母さんのよりずんずんのがうまいよねぇ」と父、兄、弟が言うともう怖い怖い。目が笑ってない。嫉妬が半端ない。ガンガン音をたてて食器を置く。
とにかく、私が母の気に入らない態度でいると母はひどく怒りました。小さな子どもがダダをこねているように。絶対に許せない。泣き止まない。
そしてヒートアップしていきます。
「何で○○しないのよ、あんたはどうせ私の気持ちなんかわからないのよ。あんたがいるせいで私は不幸なのに!」
一生懸命母を助けようとしていたのに、ちょっとでも気に入らないことがあればけちょんけちょんに言われる。
「それは言いすぎじゃない、」と私が言うと
「こんなお母さんでごめんねごめんね、本当にごめんね。私がお母さんであんたも不幸よね。私はどうしたらいいかわからない、お父さんもあんなんだし、ううううう(泣き崩れ攻撃(笑))」
はいはい、わかったよ、よしよし。要は全て言いなりにならなきゃ満足しないんでしょ? 母の「おかあさん」のように優しく接する私。
「人の話をウンウン聞けばいい。とりあえず」「私がどんな態度をとっても相手は満足しない」「誰かの面倒を見ることが私にとっての人間関係(共依存)」
私にこんな態度が身についたのも仕方がなかったんですね。
私は母の唯一の話し相手
母はいつも感情的で感情以外でモノを言ったことがない人間でした。私も一緒になって喧嘩していましたが、でも大好き(だと思いたい)お母さんでもあります。子どもなりに喧嘩にならないように母には気を遣っていました。でも、母の気分次第なんですよね。どうにもならない。。。
そして私は、母の唯一の話し相手でした。母は友だちがいなかった。
お家に親戚でない誰かが来て、お茶を出して、しばし談笑。あれって本当にあるの?
サ○エさんの世界でしょう? フィクション?
よそのオトナの人がお家に来ることは、なかった。
唯一の話し相手である私がいつも聞かされたことは、父が自分を虐げること、女だって男以上に何かできる、仕事がとても辛い、父方の親戚はオカシイ、離婚したい。。。
(実際父も、母を虐げていた。殴ったり、力で押さえつけたり、自分だけが偉いと言っていた)
「父さんはずるい! 私も一緒に会社経営しているのに、私だけが家事育児やってる。不公平!」
「女だって男並みにやれる。私だってこんな仕事がなかったら違う人生があった」
「もう毎日仕事、仕事、仕事! 子どもも三人もいるし、お金はないし、首がまわらない」
「父方の親戚はみんな、私の文句ばかり言う。あいさつもしない。私のことを下に見ている。自分の家だと思って突然来る。頭にくる」
「子どもが居なければ私だって思い切れる。お前たちのために離婚しない。だって離婚した子どもは可哀想でしょう? 世間体も悪いし。私は耐えるしかない」
物心ついた時から、こういうことを延々と聞かされていた。いつしか私は、気の利いた言葉を言うのが上手くなっていた。
「そうよね。お父さんももう少し感謝のことばがあればいいのにね」
「男女平等だったらいいのにね」
「仕事、そんなに辛いんなら、パートの事務員さん雇ったら?」
「お父さんのところの親戚は変な人ばっかりなんだね」
「お母さん、大丈夫だよ、もうこれから悪くなることはないよ。子どもも大きくなっていくばかりだからもう少し頑張ろう?」
私が励ましてあげるんだ。お母さんを助けなければ。お父さんとお父さんの親戚が悪い人なんだ。だからお母さんは辛いんだ。
母親を笑顔にしたい。その一心でしたが母親は笑うことはありませんでした。それどころか父親への不満がいつのまにか私に転嫁され、私を罵りました。「お前がいるから私は離婚できないんだよ! 幸せになれないんだよ、ううう。」最後は泣き伏せて終わります。
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私の提案が通り、会社に事務員さんが来ることになりました。(9時~15時だから母もだいぶ楽になったんでは?)
「お母さんにも楽しみが必要だよ」私が高校生の頃には、母は私の勧めた趣味を始めるようになります。
趣味のための似合う服を私が選んであげる。車の運転時に私が標識を見てあげる。「知らない場所だから運転が怖い」と言う母を励ます。
お母さんの「快適」を、私が創る。まるで産まれたての赤ん坊を世話する母親のように。そしてますます母は私に依存するようになります。
それを見て父も
夫婦の問題を私に丸投げしようとします。
できちゃった婚で元々夫婦仲が悪く、毎日喧嘩していたのですが、バブル崩壊とともに父が浮気したせいもあり、母との溝はさらに深くなります。
酔っぱらった父は「おお~~ずんずん酌しなさい~~母さんは~ほんとにメンドクサイ~お前から言ってくれな?」といって太ももを触ります(キモっ、死にたかった)。
本来ならば隣でお酒の相手をするのは妻である母の役割であるはずなのに、高校生である私が相手をしていました。
「ずんずんよ~~男は浮気するもんなんじゃ(キモっ)、母さんに言ってくれよ」「ハイハイ、お父さんからも謝らないとね?」とたしなめてその場を収めます。
母親はものすごい形相でお風呂に入りにいきます。私に間に入ってもらいながら、父の話し相手という立場を取られたことに嫉妬(!)しているんです。
……こんなことを毎日毎日繰り返していきました。
そんな中、私の兄に言えば「ほっとけよ関係ないじゃん」で無関心。弟は5歳下なのでとても話せる気にはなりませんでした。仕方なく私が両親を支えていました。
毎日の家事もほとんど私がこなしていました。母親に頼まれた家事は完璧にやりました。学校と家庭の両立(なんだそれ(笑))に必死。助けたかった。辛かったけど。重かったけど。
そんなこんなで私には無意識にか「この家族の母親役」を演じることが当たり前のようになっていったのです。
お母さんのお母さんをやめる日
それは兄・弟の結婚式でした。ふたりともたまたま同じ月に式をあげました。式前には相手方のほうにお土産、控室のお茶菓子、着付け室での社交(「お義母さんお似合いですよ」など)を全て私がやっていました。両親といえば、なぜか偉そうにわっはっは、私が○○家の父じゃ・母じゃ。というような態度で突っ立っているだけでした(なんじゃそら、でもホント(笑))。
そして式が終わったその時に、ものすごい安堵感と同時に「私の役目は終わった」と本気で本気で思いました(笑)。肩の荷が下りたんです。
明らかに私はこの家庭で「母親」でしたね。そしてこの後半年も経たないうちに親と絶縁することになるんです。今思うと本当に変な話です。
こんなことを無意識にやっていたなんて今では笑ってしまいますが、当時はそれが当たり前でしたし、そのせいで自分自身という存在が殺されていた・精神的に参っていたことにも気付けませんでした。
役割が逆転してる。うちはまさしく機能不全家族だったんですね。そして母・父とは共依存の関係でした。
読んでくださりありがとうございました。
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