解毒法2(補足1)ー感情は大切なもの


 
 
決して感情を感じたり表現したりすることはいけないことではありません。
感情が厄介なものだと思われているのは感情にとらわれ過ぎたり、相手に伝える時に攻撃的になってしまったりするからです。

 

感情は人間のとても大切な要素の一つです。

 

感情自体は誰もが感じるごく自然なものです。
自分の人生にスパイスを与えてくれるとても素敵なものですね。
怒り、悲しみ、喜び、楽しみ、などの「感情を感じること自体」には何の善悪もありません

 

そして同じ出来事にもひとりひとり感じ方が違う。だから世界中に多様性が広がり豊かになっているんだとも思います。

 

例えば、お金はただの紙です。本もただの紙です。雨だってただの水です。
でもそれをどう捉えるかです。
お金を「美しいもの」と見るか「汚いもの」とみるか、本を「楽しいもの」と見るか「難しいもの」と見るか、雨を「恵みだ」と見るか「ヤな天気!」とみるか。

 

それと同じで感情だってただの感情です。
怒りを感じて「これだけのことがあったんだから怒って当然なんだよな。よく耐えたね」とみるか、「また感じてしまった! 厄介な感情を消してしまいたい!」とみるか。

 

自分で自分の感情を「許す」。感じたっていいんだと言い聞かすことで楽になりました。(こちらもご参考に:「解毒法3-5自分を許す、好きになる」
一つ一つの感情についても見方を変えて考えてみます。
すると感情の存在を前向きなものに変えていくことができます。私はノートにメモをして何度か見返していました。

 


「自分の望む」人間関係を築くために

感情はまた、人間関係を構築するのにも大切な役割を果たしています。

「自分がどういうものが好き・嫌いか」「自分はどういう人間か」の判断材料のひとつです。それを理解し相手に伝えることが人間関係の第一歩です。
そして感情や好き嫌いを攻撃的でなく穏やかに伝えることで、相手は自分のことをどう扱ったらよいかもわかります。お互いの考えが合うのか合わないのかの判断材料にもなります。

 

そこで、感情を隠して嫌だと思うのに付き合うとか、我慢して合わせたりしているとお互いによくありません。
相手も自分も付き合う人を選ぶ権利があります。率直に自分を表現しないと、お互いがやりにくくなります。

 

丁寧に「自分は○○したくないんです。ごめんなさい」と断っても嫌な顔せず「そうですか」と言い態度を変えないのが大人です。
話しあおうともせずに「○○しないなんて自分勝手」という態度をたびたび取る大人がいればそれは毒親脳の人(笑)です。人間関係を見極めるためにも自分の感情、特に「イヤ」を言うことも大切なんですね。

 

私は昔、何でもかんでも相手に合わせて我慢して疲れ果てていました。

「その時」自分の気持ちを相手に正直に伝えなかった(断らなかった)自分の非は棚に上げて、「自分に嫌な思いをさせた人」と後から勝手に認定して勝手にウジウジ思ったりしていました。(そもそも、自分が「何をどうしたい」ということすら分かっていなかったから当然なのですが、、)

 

相手にしてみればいい迷惑ですし、相手に対して誠実じゃないことをしていたんですね。「断る」ことが異様に怖かった。どんな方法を取ればいいか分からなかった。
毒親育ちは他人の意見を断ることを教えてもらっていないし、感情を伝えると揉め事になっていたので、嫌という気持ちを伝えることが困難なんじゃないかなと思います。

 

感情はたいしたものじゃない?

毒親育ちは、長年感情を抑圧して生きています。そう言える理由は、

 
  • 親がそもそも子どもの感情に興味がなく子どもの感情は面倒なものだと考えている場合が多い。
  • 親の感情ばかりが優先されてきた。
  • 親と違う・親の理解できない考えや感情は全力で否定されてきた。(例:「親がおかしいと思う、お前がおかしい」「(傷ついたことを伝えても)そんな風に感じるのは普通じゃない」など)
    否定し続けられると、子どもは自分の感じ方を信じられなくなり、自分自身でも自分の感情を否定するようになります。
  • 感情は汚いもので抑えこむべきものである、全ての感情を無視して一方的に我慢する・ルールに合わせることが美徳として教えこまれている。(「~~すべき」理論だけがまかり通っている)
  • 「不快」と直感的に思うことを強制的にやらされすぎてきて、「不快」という気持ちが麻痺している。
  • 感情を出すことを禁止されている場合が多い。「良い」感情と「悪い」感情というものがあり、感情を出すとからかわれたり、罰せられたりする。(例:「悔しいんだ~情けないねぇ」「泣くとたたくよ!」など)
 
例えば、転んだ時に、痛いと泣きます。「痛いと自分が感じたのは事実」です。でもこれを否定されます。「お前の痛みなんてたいしたことじゃない」「もっと苦しんでいる人がいる」「いつも泣き虫で面倒な子」「また泣いた」・・etc。
 
 

私は全然辛くない。そして自分は強いと思い込もうとする。そういう態度が美しいと思い込まされている。
感情を出したものが負け。感情を出すとなにかしらの「嫌なこと」が待っている。嬉しそうにする、楽しそうにするということも時には許されない。(親を満足させるために嬉しそうにすることは許される。)

 

感情は、自分の大切な一部です。本当にそうです。怒ったり怖がったりする私も大切な一部なんです。まず、それを自分が認めてあげる。そして自分で慰めてあげる。毒親脳(笑)がインストールされていて、しばらくは上手く慰められないかもしれませんが、大丈夫です。書き換えできます。
結局は習慣なので、すこしずつ自分に心地よい声掛けをしていけば書き換えていけます。
(具体的な書き換えの方法はこちら→解毒法3-4刷り込みを書き換える

 

ちなみに私は、「怒っている私もかわいいよ」「怖がっている私もお姫様みたいで(!)かわいいよ」と、30代後半にしては若干(若干か?)恥ずかしい声掛けを自分にしていました。(もちろん誰も見ていないところで、ですよ!)
でもそんな感じでいいんです。それくらい大袈裟でいいんです。ぜひ、自分で自分をかわいがってください。

 

読者様の気持ちが、すこしでも晴れますように。読んで下さりありがとうございました。