「仕事が忙しかったから、親は私を愛せなかった?」-仕事とお金についての歪んだ刷り込み


 

私の実家では「自己実現」とか「社会でうまくやる」という行為は認められませんでした。

「王様(親、特に父親)」より、権力が強い大人になっては困るからです。王国が衰退しては困るからです。

いつまでも子どもは親の「下にいる人間」でなくてはならず、お金が稼げない=自立できない=弱い人間になるように小さい頃から言われ続けてきました。

 

そのかわり「子ども時代の」「親がすごいと周りから思われる」わかりやすいステータスは承認されました。生徒会所属、高校、大学のランクなど。他人に自慢したいからです。

 

私は高校までは何とかうまくやれました。家庭では「お前は変な人間だ」って言われ続けてるので、学校のことで自分の価値を証明するしかなかったんですね。自分にとっても、せめて学校生活がうまくいっていることが救いでした。親のサンドバッグ&趣味も何も認められなかったからです。

 

それに自分の親とやりあうことを考えたら、外にいる人と付き合うのは天と地の差くらい楽でした。

 

しかし、学校のことがうまくできたからって褒められるはずもなく、

「調子にのるな、出る杭は打たれるんだ、俺たちが打ってやる!」「社会の厳しさを教えているんだ、学校でうまくやれるからって、社会では通用せん!」

 

高校生になって、いよいよ辛くなってきました。
定期テストで点数も取れなくなる。
学校をズル休みする。(進学校だったのでその辺はゆるかった)
でも全部親にバレない範囲で。

 

大人になると、所詮何をやってもダメ。という言葉がさらに効いてきました。力を発揮すると、叩かれるから。おとなしくするしかない、目立ってはいけない。

 

無意識にか就職した仕事は即辞めフリーターに、また次の仕事も鬱で続かず辞め、派遣社員になるもまたそれも続かず。

 

こもサイトを立ち上げる時も、すんなりいかなかった。すぐ途中で「そんなことやって、何になんの?」と嘲笑う父の顔が浮かぶ。上手くいかなくなる。それは、仕事とか、自分のやりたいことへの間違った刷り込みがあったからなんですね。

 


仕事のせいで子どもを愛せない?

親が私を愛してくれなかったのは、「仕事」が「忙しくて辛かったから」だ。とかつての私は思い込んでいました。(実際両親は仕事中毒)

実際母は、何かあるにつけて「仕事が忙しいのよ、だからあんたのことを構ってる暇がないのよ。お客さんもいるし……」いつもそう言っていました。

 

なので、仕事のせいで子どもを愛せなくなることがあるのだという強い刷り込みを振り払えずにいました。仕事がなくなりさえすれば、親は私に優しくしてくれる、愛してくれるはずだ。仕事が憎くなりました。

仕事が忙しくても、子を愛している親はもちろんたくさんいると思います。

 

本当は、本人の生き方の問題なんだけれども、私はオトシドコロが見つからなかったし、親も仕事のせいにして納得しようとしていたんですね。

 

毒親の悪いところを「何かに責任転嫁して、納得しようとする」ことは多々ありますね。
親が自分に嫌なことをする。やめてくれない。どうしても納得いかない、理解不能。
なので「責任転嫁」という形で、親、子ども共に納得しようとするんだと思います。

 

「何かに責任転嫁」することでまた、その「何か」に対する考え方も歪んでしまいます。

 

それが「仕事」だったんですね。私にとっては。

 

【仕事についての歪んだ思い込み、刷り込み】

  • しなくてはならない辛いこと。
  • 仕事ができない(=お金が稼げない)人は、価値がない。
  • 仕事ができる人は価値がある。えらい。
  • 仕事すると、疲弊して、周りが見えなくなるくらいイライラする。
  • 仕事をしていれば、子どもにあたっていい。
  • 仕事のためなら、家庭がおかしくなってもいい。
  • 楽しい仕事などない。仕事は必ず苦労が伴う。
  • 髪を振り乱して稼いだお金を一円一銭ムダにしてはいけない。
  • 親のお金を使わせることは悪いこと
  • お金は物凄い苦労をしないと稼げないもの
  • たくさん稼げる人はそれだけ人格も素晴らしい
  • たくさんお金があれば幸せでお金がないと不幸

 

私にとって仕事やお金とはこういうものなので、私は仕事ができなかったんです。したくなかったんです。なるべく目をそらして生きてきました。

 

そして、このサイトをたちあげようとした時(2014年)に、これは「仕事」だって自分で決めてしまってから……。滅茶苦茶家庭が荒れました。

 

寝るのも惜しんで、文章作成、サイト作成の情報調べ……何かに急き立てられるように。やらなきゃやらなきゃ、やらなきゃ。

 

イライライライライライライライライライラ。笑顔が消えていきました。
子どもの行動全てが気に入らなくなりました。全部に怒りを込めて指摘しました。大きい声をあげました。感情が止められなくなりました。
酷い顔をしていました。自分でもどうしていいかわからなくなりました。

 

もうヤバイと思っても「仕事」が止められない。
「仕事」を始めて約1ヶ月。
夫の一言で目覚めました。
「どうしたの?酷い顔してるよ?いったん離れて」

 

……この出来事があって、私の「仕事」に対する歪んだ刷り込みに気付くことができました。歪んだ考えのまま、うまくいくはずがない。

 

仕事からはいったん離れて、自分にどんな思い込みがあるのか書き出したのでした。
(上記の項目です)

 

「仕事をしている母」になった私

 

仕事を始めたら、どうしてあそこまで私はイライラしたのか。
仕事に対する歪んだ「刷り込み」の他に、もう一つ理由があると思います。

 

私はこの時、自分の「母親」になっていたんだと思います。

 

毒親の家庭では、構成員に「親と同じ思考、同じ行動」を望み、それ以外の思考や行動を酷く罰する傾向があります。親と同じ行動をしないと、家庭で生きていけない、認められない。
境界線が曖昧な人間関係。全く一緒でないと、相手を受け入れない。

「仕事」という言葉をきっかけに、私は自分の母のように振舞っていたんだと思います。

 

「お前も大人になれば、親のようになる」
「どんなに頑張ったって、結局カエルの子はカエル」
「お前はいつも、家庭を乱す。親の言うことだけ聞いていればいい」
「親をおかしいと思うお前がおかしい。」

 

その言葉の通りに、過ごしていたんだと思います。

 

たった1ヶ月でしたが、今思うと恐ろしい毎日でした。
でも逆に言えば、私の母親は、今も昔も、あんな気持ちのまま、自分のことが訳わからないまま、生きているんだな。本当に可哀想に思います。

 

今は思い込みを解消し、心身ともに元気になったのでカウンセリングの仕事お茶会の開催、ウェブサイトの運営を自然に楽しめるようになりました。本当に嬉しいことです。

 

皆さんも仕事やお金についての考えの歪みをなくして、豊かに暮らしていけるといいですね。

 

読んでくださりありがとうございました。