解毒法2(補足3)-感情を擬人化してみる


 
 
 
 
感情って何のためにあるんでしょう。

 

感情をぶつけるのも、ぶつけられるのも、とても疲れますよね。
感情があるせいで自分が傷ついたり、他人を傷つけたり。

 

感情の処し方なんて誰も教えてくれない。
ただただ厄介なものだと思われがちです。

 

実際私も自分の感情をものすごく嫌っていました。それも特定の感情。

 

怒り、恨み、妬み、悲しみ、攻撃したい衝動、疲れ、やる気のなさ。この特定の感情を「感じてしまったこと自体」をものすごく責める。感情のままに行動してしまったことを悔やむ。

 

感情なんてなければいいのに。楽しい、おもしろい、嬉しいって気持ちだけ感じられたらいいのに。とずっと思っていました。

 

「ありのままの自分を~」とか「自然な感情を受け入れて~」とか、昔は「ケッ」と思っていました(笑)。
 
 
 

感情を擬人化してみる

 
とは言え、感情に流される自分を何とかしたいという気持ちも否定できずにいました。
そのためには自分の感情を見つめなければ・・・。

 

そこで感情を擬人化してみました。

 

自分が10人に分裂して輪になっている場面を想像します。(映画みたいですね(笑))
10人には名前がついています。
喜び・悲しみ・歓喜・怒り・嫉妬・楽しい・恨み・愛しさ・恐怖・安心・・・etc。

 

喜びを感じたとします。10人みんなが賞賛します。よかったね、と。

 

怒りを感じたとします。人気者(=一般的に”善い”とされている感情たち)は非難します
何で感じてしまったんだ、お前のせいで台無しだ。引っ込んでろよ! みんなで押さえつけます。

 

これ、いじめですよね(笑)。
マイナスと思われている感情たち(怒り・苦しみ・寂しさなど)は「自分を表現する」だけで迫害されます。
自分も同じ感情としてただ存在しているだけなのに認められない

 

毒親育ちと重なりますよね(笑)。
「お前さえいなければうまくいくのに」「お前はくだらない」「もっとちゃんとしろ」「女はおとなしくしろ」

 

こんなこと言われたら、マイナス感情達は暴動を起こします。
「ふざけんな!俺のことを受け入れろ!俺だってただの感情だ!」
何も悪いことしているわけじゃないのに。

 

迫害されたり無視されたりすることが続くと、いよいよ暴徒化します。
存在を認めさせるためになんでもするようになります。
逃げても逃げても追いかけてくる。

 

ナイフを持って脅しにかかります。
「楽しい感情さんよ~~、いい気分でイイねぇ。俺もそんな気分にさせてくれよ。」(笑)
他の”善い”とされている感情も、”悪い”とされている感情たちに脅かされてきます

 

どんどん暴徒化する感情たち。
”悪い”感情が怖い。見たくない。
逃げるために”善い”感情だけを求めようとする。
”善い”感情を感じ「なければ」・・・脅迫的になってきます。
怖い感情たちを見ないために、”善い”感情を無理矢理創りだす必要に迫られる。
ついには”善い”感情たちも「ありのまま」でいられなくなる。

 

ずっと”悪い”感情を嫌ったり抑圧したりすると辛くなるのは、こういうことに例えられると思います。
楽しいことをしていも楽しめないのは、怖いものを見ないために”楽しまなければ”と脅迫的になっているからかもしれません。
 

「どの感情も自分の大切な一部」としてただ受け入れる

 
 
感情に流されない人、というのは”悪い”感情を感じない人なのではなく、どの感情も平等にうまく扱っている人のことなんじゃないかな~と思います。
(私もまだまだ未熟です。感情に気づかずためこんでしまう時があります。)

 

悲しかったんだね。
嬉しかったんだね。

怖かったんだね。と即時に感じられる。存在を認めてあげられる。

だから特定の感情を怖がることもないんでしょうね。
「感じてしまう」ことは誰にも止められない。それを認めて許しているんだと思います。

 

そうは言っても感情に気付けない時もあります。
つい習慣で感情を押し込めたり。
特に毒親育ちは感情を抑圧してきたのですからなおさらです。
でも「感情をうまく感じれない」からって地球は滅びない(笑)。
そんな風に自分に言って「感じられないこと」自体を許していくことから始めました。

 

少しずつ感情を感じられるように。
「今」の感情を「今」受け入れられるようになれれば。
目の前にいる「怖がっている」自分をそのまま抱きしめてあげるイメージで。
そう思って私も日々練習しています。

 

一人ひとりの人間が、尊重されるべきであるのと同じで、
自分の中の感情たちも、みな同じように尊重できればバランスがとれてくるんですね。

 

読者様の感情も楽になりますように。
読んで下さりありがとうございました。