親を愛せない、好きになれない、嫌い、怖い
親を敬愛する。大切にする。それが美徳であるような風潮があります。それは親に植え付けられたものでもありますし、社会からの要請(道徳観念や規範)でもあります。
もちろんそうできたら本当に素晴らしいことですね。
また、家族の感動ストーリーが巷にあふれていて、あたかもそれが正しい家族像であるかのように語られています。その物語に合わない自分はおかしいのでは、と悩んでしまいますね。
毒親育ちは親を敬愛できないし、その物語通りにはならないんですね。当たり前なんです。だって親を愛せないし、好きじゃないんですものね。親と付き合うのが苦痛なのに「幸せな子ども」なんて演じられるわけがないんです。
毒親育ちの苦しみの一つに「愛せないものを愛さなければならなかった」ということがあると思います。
以下私の気持ちを綴ることで、毒親育ちの気持ちを代弁してみます。
私は親が嫌い。親が怖い(怖かった)。
親のことを必死で好きになろうとしていた。愛したかった。
だからあんなに親とケンカしたし、変わってくれるよう働きかけた。「嫌い」「怖い」をどうにかしたかった。ケンカの激しさは、その裏返し。。
……でも、やっぱり好きになれなかった。
親を愛せないことに対して、罪悪感があった。焦りもあった。
嫌いだ、怖がっているということに気づきたくなかった。
感情を感じないようにした。見たくなかった。
嫌いだ、怖がっているということに気づきたくなかった。
感情を感じないようにした。見たくなかった。
子どもはひとりで暮らせない。生きるために「本能が怖がっている」存在と暮らさなければならなかった。「怖い感情」をないことにした。そうやって自分の精神を守るしかなかった。
白を指さして黒と言わなければならなかった。
白を白と言えば殴られた。
愛せないものを、愛している、敬っていると思わなければならなかった。
成人し、もしかして私は、親が怖くて親が嫌いなんじゃないんだろうか。そう思ってまた葛藤した。
何度考えてみても、プレゼントをしてみても、「親子らしく」あるために大人しくしてみても、よい子を演じてみても、愛せない。恐怖が拭えない。
……そのうち、仕方がないと思うようになった。
そう感じてしまうだけのことをされたのだから仕方がない。
そんなことがあってまで、それでもなお、親を愛します、なんて、そこまで自分に厳しくしなくたっていいんじゃないかな。神様はもっと優しいはず。
「嫌い」「怖い」を受け入れたら、多少楽になった。
このサイトだって、もしかしたら「盛大な言い訳」なのかもしれないとふと笑ってしまう。
「親子らしさ」「親子愛」っていうものは幻想なんだよ!って普段は笑えても、ふとした瞬間に申し訳なさに押しつぶされそうになる。
お父さんお母さんごめんなさい。やっぱり2人のことが好きにはなれなかった。
お父さんお母さんごめんなさい。やっぱり2人のことが好きにはなれなかった。
苦しみの中にも「幸せになれる要素が隠れている」
でも、おかげで「幸せ」って何なんだろうっていうことを真剣に考えさせられた。
考えた結果、
お父さんとお母さんの望む、何でも思い通りになる子どもを辞めることにした。
お父さんお母さん、私は2人を好きになれませんでした。
でも、2人も、私のこと、好きじゃなかったでしょ?
隠し切れてなかったよ?
そしてお父さんとお母さんは、自分自身のこと好きじゃなかったんでしょ?
私は、自分自身のこと好きになりたいんだ。
「自分のこと好き」って胸を張って言える人生を選ぶんだ。ごめんなさい。
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昔は両親が怖かったけど、今は怖くないです。
未知のものじゃなくなったからです。自分のことを守れるようになったからです。
未知のものじゃなくなったからです。自分のことを守れるようになったからです。
そして自分自身のことも怖くなくなったんです。「親を愛せない」自分でもいいんだと認めたからです。
もちろん、愛のある温かい親子関係だったらよかったなぁと感じますし、全ての親子に愛がないとも思いません。
ただ、私のところには、なかった。
今となっては、私にとって毒親問題は、今日は晴れだったらよかったなぁ……(神様が決めたんだもんな)位のレベルの話です。
ただ、私のところには、なかった。
今となっては、私にとって毒親問題は、今日は晴れだったらよかったなぁ……(神様が決めたんだもんな)位のレベルの話です。
毒親育ちだから幸せになれないとも思いません。
全ての人の人生の中に苦しみと学びがあるとしたら、私にとっては「親」が最大の苦しみで学びだったんだと思います。
親から学んで、幸せになればいいんです。
難しく考えず、ただそれだけのことだったんだと気づけました。
親から学んで、幸せになればいいんです。
難しく考えず、ただそれだけのことだったんだと気づけました。
誰かを強制的に愛する人生はもうやめる。
好きになれないものは好きになれない。素直に認める。
好きになれないものは好きになれない。素直に認める。
そして自分を好きになれる人生を選ぶ。
好きになれるものをめいいっぱい愛でる。
嫌いなものがあったっていい。それが自然なんですね。
できるだけ自然体な自分を、自然に受け入れられればいいですね。
読んで下さりありがとうございました。