幸せになるためのヒントー対話形式


どうなりたい?
どうなるって?

今、しあわせ?
うん。しあわせ。

しあわせって、何?
おだやかにくらすこと。

それだけ?他には?
家族が仲良くあること。

仲良くってなに?
笑顔でいれること。

笑顔でいるためには?
相手の要求をよく聞くこと
自分の要求を伝えること
そして話し合うこと。

ありのままの自分でいいって思うこと。
そして相手もありのままでいいって思えること。

自分を整えること。

自分を整えるって?
全部自分の責任だってこと。
気持ちの持ちようで何でも捉えなおすことができること。

責任って?
いい意味で。自分で自分の世界が創れるってこと。

どういう意味?
喜劇がすきか、悲劇がすきか、それをまず自分で選んで、
自分でストーリーを語ること。

悲劇がすきな人なんているの?
居るよ。けっこう居る。

じゃ、救ってあげなきゃ?
ううん、不要。
すきでそこに居るんだもん。
そこに居させてあげようよ。
もしできることがあるとしたら、
その人に僕のありのままの姿を見せる、これだけ。

姿を見せるだけでいいの?
うん。
悲劇から本当に逃れたい人は、幸せな僕を見てお手本にする。
悲劇がすきな人は、幸せな僕をみて更に悲劇を加速させる。
だから誰の側に居ても、僕は役に立てる。
姿を見せるだけ、側に居るだけでいいんだ。

君は喜劇が好き?
うん。
穏やかなストーリーがいいね。
ニコニコして、争いごとのない世界。
悲劇がめっぽう苦手でね。
悲劇がすきな人は、悲劇に耐えられる自分がすきなんだと思うよ。

悲劇が苦手なの?
うん。
悲劇設定を試してみたけど、どうもダメだった。

悲劇に耐えられるのって、強いってことじゃないの?
昔、強くなりたかった。
何が起こっても自分で何でもできる、へこたれない強さに憧れた。
悲劇の渦中に居る人を救いたかった。

救えなかったの?
救えることもあったけど、救えないことのほうが多かった。
そのうち疲れて、気づいた。
誰かを救うってことは、困った人がいないと成立しないんだ。
困った人はたいてい、いつまでたっても困った人なんだ。
泣いたり、怒ったり、叫んだり、傷ついたりするのが好きだから。

困った人が救われたならそれで完結したんじゃないの?
そうだけど、「もっと強くありたい」って願ってたら、
次にはもっともっと困った人が現れて、終わりがなかった。
そういう人たちを救うことばかりしていたら
いつのまにか、ぼくも困った人になっちゃったよ。

同じ穴のムジナになっちゃったってこと?
うん。
救えないことに絶望して、僕の中で悲劇が始まったんだ。

どんな悲劇?
僕は僕が受け入れられなくなってきた。
来る日も来る日も、幸せそうでない人たちを見て、
僕は僕に絶望した。

どうして絶望するの?
だって相手は変わらなかったから。
笑わなかったから。
何で補おう。力かな。言葉かな。知識かな。外見かな。
どうしたら救われるんだろう。
どうして僕じゃダメなんだ。何が気に食わないんだ。
どうして僕じゃ……。

それからどうなったの?
うん。
僕は僕を否定し始めた。
すべてがうまくまわらない気がした。
気がした、だけなのに歯車がひとつずれると、
全部がずれているような気がした。

僕にとっての僕の良さとか、
全部がダメなものに見えてきて。

僕は僕の全部を呪った。

呪うことないじゃん?
うんそうだよね。本当にそう思う。

でも、僕は僕のままでいいんだってことを自分に許せなくなって。
自分に自信がもてなくなったんだね。
僕の全てが、他人に依存するようになってきた。

他人に依存ってどゆこと?
他人が笑えば、僕は幸せ。
こう言ってくれれば、僕は満足。
僕の力不足(と思えるものを)補うことができるから。

人のせいにするようになったの?
うん。
他人が自分の思う通りに行動してくれるなんて滅多にない。
気の知れた仲で、どういうことが好みか知り尽くしていたとしても、
他人は自分の好みに合わない行動を必ずする。

人は完璧じゃないから。

僕は僕への信頼を失いかけてたから、
例えば親しい人が、9満足、1不満なことを僕にしたとして
僕はその1つの不満がとても許せなくて、怖くて、脅威で。

居心地の悪さばかりに目を向ける生活が続くと、
もうどんなことが起こっても、嫌なことだらけになってしまって。

困った?
うん。
毎日泣いたり、ムカついたり、悪態ついたり。
周りのひとが笑ってくれれば、いい気分になれるのに。

全部周りの人のせいにしていた。
気付いたら自分が「困った人」になっちゃってた。

あらら。ミイラとりがミイラになっちゃったね。
そうなんだ。
「困った人」な自分の居心地の悪さったらなかったよ。
自分は悲劇より喜劇が好きだから、当然なんだよね。
「困った人」のまま暮らすことが苦痛すぎたんだ。

だから、喜劇を求めた?
うん。
周りの人を救えば喜劇になるんじゃないって気づけた。
自分から喜劇を語らないといけないんだ。

ね、喜劇を語るって何?
「意識して『こっち側』に居る」ってことかな。

『こっち側』って何?
幸せ側。喜劇側。
人って簡単に『あっち側=不幸側、悲劇側』に行けるんだ。
逆もそうで、簡単に『こっち側』にも来れるんだ。
そのためには『幸せを語る』つまり言葉と思考を先に用意するんだ。

どゆこと?
自分が幸せな言葉や思考をしていれば、そっち側に簡単に居れるってこと。

何かするから、幸せになれるんじゃないの?
ううん。逆なんだ。
「幸せで居るんだ!」とこっち側に意識して居ることが大事なんだ。

でも嫌なことってどうやっても起こるじゃん?
嫌なことは自分へのサインだって考えるんだ。
嫌って気持ちを飛び越えて「この出来事には何が隠されているんだ?」って。

何が隠されてるの?
「自分の本当に望むこと」
「自分の一番嫌な姿」
それを見つけられるようになったら、どんな「出来事」も怖くなくなってくるんだ。

怖くなくなるの?
うん。
自分を幸せにするヒントが隠されてるだけだって分かるから。

そっか。
うん。
そのうち慣れてくるよ。こっち側に居ること。
あっち側に行きそうになるサインも分かるようになる。

どうすればそうなれるの?
急がなくてもいいんだ。
人間は習慣の生き物だから、前向きな言葉を繰り返せばいいんだ。

初めは10日のうち、1こっち側で9あっち側かもしれない。
ちょっとずつ「こっち側」を増やせばいいんだ。
2こっち側、8あっち側。
・・・
6こっち側、4あっち側。

10日中6日こっち側になれればさ、単純に人生もこっち側の割合が多い人生になる。

そだね。
うん。
いつもの毎日。こっち側の割合が増えればいいだけだって
思えれば、具体的に幸せが見えてくる。

初めは、1こっち側でも。

そっか。僕もやってみるよ。
うん。
何もしてあげられないけど、応援してる。

ありがとう。
ありがとう。