親を大切にしないと本当に「バチが当たる」のか。その2【信念】
親を大切にしないとバチが当たるのか考えてみました。
- その1【責任転嫁】
- その2【信念】←現在のページです
- その3【圧力】
この3点盛り(笑)で考えてみました。
「バチが当たる」=信念?
もう一つは「本人の」思い込みや信念。だと思います。
どこからともなく(多くは親から直接に言われたりメディアで流れているものですが)
「親不孝をすると後悔する人生になる」
「親不孝をするとバチが当たる」
という話を子どもの頃から聞いてきて、それをうっすらと信じて来ている。
そして必ずそのセリフとセットで「脅し」が付いてくるんですね。
「生涯孤独になる」「人生がめちゃめちゃになる」「ろくでもない人生になる」など。。
未来は見えないものだから誰でも不安になるものです。
明日はどうなるか。大人になったらどうなっているか。
見えないものに対して脅しをかけれれるから恐怖倍増(笑)。
皆必死に「親不孝」を回避しようとする。
親孝行とは本来本人の意思から行われるべきものなのに、マイナスの方向で強化されているんですね。
信じている通りの人生になる?
で、前置きが長くなりましたが。
『あなたの心の法則は信念の法則です。…あなたの経験、出来事、状態、行為などは、すべてあなたの考えていることに対するあなたの潜在意識の反応です。結果を引き起こすのは信ずる対象ではなくて、あなたの信念そのものだということを忘れないで下さい。人類のもつ誤れる意見や迷信や恐怖などを信ずるのをおやめなさい。(p34-35)』とあるように、
(『マーフィー眠りながら成功する(上)』ジョセフ・マーフィー著、知的生き方文庫、より)
(『マーフィー眠りながら成功する(上)』ジョセフ・マーフィー著、知的生き方文庫、より)
「親不孝するとバチが当たる」と信じこんでいれば、その通りになるんです。
信じこまされすぎています。もう全く疑う余地のない事実のように。
その1の話(責任転嫁)と関連しますが。
そして、何かが起った時に「やっぱりね。親不孝だからそうなったんだ」って結びつけているのは他ならぬ「自分」なんですね。
その言葉を信じて生きていくのも自分。
んなわけない(タモさん風)。私は絶縁しても幸せに生きる。親の奴隷として生きているわけじゃない。自分が幸せになるんだ。って強く思って生きていくのも自分。
選べるんです。何を信じるかは。
たとえ大多数が「親不孝になる」と言おうが、自分だけはそれを信じなければいい。
大丈夫だよ、って言ってくれる少数の人と付き合えばいい。
たとえ大多数が「親不孝になる」と言おうが、自分だけはそれを信じなければいい。
大丈夫だよ、って言ってくれる少数の人と付き合えばいい。
・・・絶縁しなければ自分の幸せをつかめない状況。
そりゃ親不孝です。でもですね。
だからって自分まで不幸になることないんですね。
絶縁までしたならば逆に幸せにならなきゃならないんです。
自分のきちんとした信念があって、もうこれ以上毒の連鎖を止めたいと思って、思い切って行動したのならば。
したのにグジグジしてたら神様に殴られます(笑)。
親の幸せのために自分を「犠牲に」するのはやっぱりおかしいんです。
絶縁しなければ親は一生満足して生きていくのかもしれない。
「親を敬って大切にしなければならない」という道徳観はとても美しいです、
でもその裏に「自分の人生を差し出す」ーー子どもの人生が幸せであることが必要最低限の前提であることを皆忘れがちなんですね。
親として絶縁されることは本当に辛いことだと思います。
それだけ親に嫌な思いをさせたんならば、めいっぱい幸せに。
親不孝したんならば自分がせめて幸せにならなければ、親の不幸をムダにしてしまう。
信じることが、自分にもたらされる。
親と絶縁しようがしまいが「自分は『バチが当たるような人生は歩まない』」と信じて進んでいくことが大事なんですね。
親と絶縁しようがしまいが「自分は『バチが当たるような人生は歩まない』」と信じて進んでいくことが大事なんですね。
絶縁すると後悔する・バチが当たる=「自分の信念」というお話でした。
読んで下さりありがとうございました。
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