義実家が心地よいわけ


 
 
 
 
 
今や義実家が私にとっての心地よい居場所となっています。実家になんて帰らなくたっていいんだ。私の「家族だ」

 

妊娠中の私をみな気遣ってくれる。「ずんずんちゃん、○○君(私の息子)と買い物行ってくるね!」と言って子どもを連れだしてくれる義妹ちゃん。遊びに来たら何も言わずにお茶碗を洗ってくれる義弟君。
何も言わなくても「私がしてもらったら嬉しいだろうな」と思うことをさりげなくやってくれる。

 

私にとって嬉しいことをやってくれることが一番の理由。その他にも、義実家がどうしてそんなに居心地がいいのか考えてみました。

 

それは、みんながそれぞれ「自分の役割を受け入れてそれを楽しんでいるから」「自分のできることはできるだけ自分でする。でも困ったらはっきりと頼るから」かなって。
人のせいにしないし、必要以上に人に頼らないし、期待しない。

 

例えば、みんなで集まっている時、義母さんが食事の用意をする。その時私は、子どもと遊んでいた。でもそれで「何で手伝ってくれないの」とか「お前はいいご身分だな」とか「嫁は手伝うのが当たり前」とか「私が義実家行ったときはウンタラカンタラ」とかが、ない。

 

自分のやるべきことをやるべき時にやる。自分のやるべきことを淡々と引き受けている。
手伝ってくれればそりゃ、嬉しいけれど、手伝ってくれなくても、料理は楽しい。庭の柿を収穫するのは義母さんには「できないこと」。それは素直に息子に甘えてやってもらう。「ありがとう」素直に言葉が出る。

 

そして義母さんは信じている。「手伝いたい気持ちを、子ども達がもっている」ということを。「大変なことがあればいつでも手伝うから」その言葉を信じてる。

 

今私が手伝っていないということは「今は手伝えない時なのだ」と思いやれる。

 

そしてやって欲しいことを断られた時に、「じゃあまた今度」「いいわよ、じゃあ他で何とかする」と言って根に持たないし、それで相手を責めたりしない。ましてやそれで嫌いになったり、ダメ人間認定したりしない。

 

断ることを相手に許すから、自分も断れる

 

「今はそれをできない、私はそれをできない」素直に言える雰囲気がある。

 


「あるがまま」でいい場所

義実家とつきあい始めた頃。
その頃は頭のなかに「とにかく手伝わなければ・いい気持ちにさせないと嫌われる・価値がない」という強迫観念があった

 

というか「身の回りの世話をすることが、相手が1番喜ぶこと」だと思ってたんですね。(それはうちの両親が喜ぶことであって、義母さんが喜ぶことかどうかは分からないのに、です)    
言われていないのにキッチンに入り込み、料理の手伝い、ゴミ捨て、洗濯物を干す……etc。
とにかく何かをしていないと落ち着かなかった。

 

何もないのにもてなされるなんて、おかしい。くらいに思ってた。
楽にしていていいわけない。奴隷体質(笑)

 

今思えば、相手の領域にズケズケと入り込み、頼まれてもいないのに様々なことを勝手にやるなんてすごいなぁと振り返ることができる。

 

「あらあらありがとう、でもゆっくりしていていいのよ? いろいろと気がついてくれてありがとう。」

 

こんなありがたい言葉も素直に聞き入れられず「本当は心の中で『気が利かないわね』とか『料理の基本がなってないわね』とか思ってるんだろうな」と勘ぐっていた。要は品定めされているような気分で、全然義母さんの言葉を聞いていなかった。

 

つまりは「私の母」が「私をみているような視線」で、義母さんも私をみているのだとばかり思っていた。状況に対してただ、自動的に反応してただけなんですね。「手伝って欲しいと思っているに違いない」と決めつけて。

 

 
加藤諦三さんの本にもありましたが心のどこかで「役に立つ自分じゃなければここにいてはいけない」気がしていたんですね。本当は何の理由がなくても、そこにいていいはずなのに、です。

 

でも義母さんは、そんな私の態度も受け入れてくれていたんですね。

 

棘を隠して接していた。私は汚い人間、親不孝、変な家庭育ち。劣等感を抱きながら、それを必死に隠しながら必死に繕いながら。
結婚しても正月やお盆の手伝いもほとんどできなかった。できる余裕がなかった。

 

でも、そんな私でも、手作りの美味しいごはん、そこに私の好物を少し用意してくれる。小さい身体なのに布団を干して、お風呂を掃除して沸かして待ってくれている義母さん。
「長男の嫁なのに、何で盆正月の手伝いしないの?」とは言わない。彼女も人間、本心では言いたいこともあっただろうに。

 

私の態度がどうであれ、いつもそうして私を迎えてくれた。
すごく褒めてくれたり、何かを買ってくれたり、私の望むことをしてくれるわけではないけどでも、
いつも同じ態度で温かいご飯を用意して待ってくれている義母さん。

 

だから、私も義実家に通うことができたんだろうな。
何も言わない、でも待っている。
そのうち義母さんとのおつきあいが楽しくなってきました。

 

何か特別なことをしなくても、温かいご飯と寝床を用意して待っている。
私の領域にはズケズケ入ってこない。あれやこれやと、ねほりはほり聞いてこない。

 

そんな素朴なことが、人を温めるって知らなかった私。毒々しい棘を隠しながら接していたときも、何もいわずに受け入れてくれていた。

 

そんな場所なので、私にとって大事にしたい場所、大事にしたい人になったんだろうな。

 

 
………最近になって昔の話をすることが増えました。
「夫君もあなたも、子どもだったのよ、ふたりとも大人になったわね。どうこう言ってもどうしようもないわよ。誰でも人生いろいろあるから。大人になるのを待つしかないと思ってたから。でも夫君が成長したのもあなたのおかげよ。これからまたよろしくね。」
この間「お盆のお手伝いさせてください」と初めて申し出た私に、かけてくれた言葉です。

 

自分もこんな人間になれたらいいな、と思えました。見習っていきます。
読んでくださりありがとうございました。