自分と他人の「問題」を分けるー3.「物」で自分と他人を分ける


 
 
自分と他人の「問題」を分けるー1.生きることを分ける
「生きるために必要なこと」を細かく分けて各々に返す
 
 
 
自分と他人の「問題」を分けるー2.親を幸せにするのは、誰の問題?
では「他人(親)を幸せにするのは誰の問題なのか」をはっきりさせること。についてお話しました。
 
 
 
問題を分けることは共依存的関係を解消することにつながります。心が健康になるために必要なステップなんですね。
 
 
 
私は「私はお母さん、お母さんは私」と母親とべったり一体化した生き方をしていたので、(そう自覚できたのもつい最近のことなので、)
問題を分けるって、意味がわからない」と感じていました。
 
 
 
「人と人との境界線」なんて、どうやって引けばいいのか。
混乱していました。
 
 
そこで、混乱している時にオススメしたいのが「物を分けること」です。
 
 
他人と自分の使う物を分ける。
他人の物は使わない、自分の物も他人に使わせない。
ルールは簡単ですし、目に見えるから分けやすいですね。
 
 
たがが物、されど物。
他人の考えや生き方を尊重できる人は「他人の物」も勝手にさわったり使ったりはしないんですよね。
 
 
私の「物」にまつわるエピソードを交えてお話ししますね。
 
 

ほとんどの物が「共用」な実家

私は13年前、重度のうつ病で2か月入院。入院中無職になりました。退院と同時に現在の夫のもとへ転がり込み、なし崩し的な同棲生活の始まりでした。
(私は相当病んでいてこの世の終わりのようでした(笑))
 
 
 
で、一緒に過ごしていてびっくりしたことがあったんですね。それは初めて夫の実家で食事をごちそうになったときの話です。
(同棲していることは事前に知らせていました)
 
 
 
食卓には、、、何と!!!!
 
 
 
義母さんのお箸、お茶碗、お椀。
夫のお箸、お茶碗、お椀。
義弟くんのお箸、お茶碗、お椀。
義妹ちゃんのお箸、お茶碗、お椀。
があったんですね。
 
 
 
義実家ではひとりひとりが納得して買った物を個人使用しており、
決して他人が勝手に使うことはないんですね。
(貸してね? と聞いて借りることはあったとしても。)
 
 
 
そして私用のお箸、お茶碗、お椀、湯のみまで用意されていました。(義母さんが選んでくれたステキなもの。決して「食堂風」ではなかった(嬉))
 
 
 
は? そんなの当たり前じゃん。何と!!!! ってほどじゃないじゃん全然。と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、
 
 
 
私は仰天するほどびっくりしました。
 
 
 
と、いうのも私の実家は
個人で使う必要最低限の物(学校の道具や服、勉強机、たんすなど)以外は全て共用だったからです。
 
 
箸は食堂風なやつ。全部同じ色。お茶碗、お椀も全部同じ形のもの。コップや湯のみも個人的なものはない。修学旅行で自分用に買った湯のみもいつのまにか皆が使っている。
 
 
バスタオルは共用。
シャンプーもコンディショナーも共用。
くしも共用。
 
 
中高生の頃、兄のお下がりを着ていたし、
母からも「この下着(使用済み)もういらないからあげる」とか言われてそれを使っていたし、父が私の歯ブラシを勝手に使ったり(激汚・激怒)
と、、、
 
 
今思うとぞっとするほど「全てが共用」だったんですよね。。。
 

「物」が象徴する関係性

物を通して実家を覗くと「自他を無視して一体化する」「親と同じ人間になれ」「個性を許さない」という考えがみえてきます。
 
 
「(スポンサーである)親は子どもの物をどう扱ってもいい」
=「子どもの領域は尊重しなくてもいい」
=「子どもの感性や好みよりも親の都合を優先する」
=「子どもと一体化する」
 
 
両親の敷いたルールに則って暮らせ。
それ以外は許さない。
 
 
親と同じ考えや行動をする人間を育てる。
それ以外は許さない。
 
 
親の思い通りに動く人間であれ。
それ以外は許さない。
 
 
親の言動やルールに疑問を持つな。
そんなことは許さない。
 
 
この家以外の世界を知ることは許さない。
 
 
ってことなんですね。
 
 
私の両親の服は、同じタンスに入れられていました。
段ごとに父親の服、母親の服、と分けてあるのではなくて、同じ段に同じ種類の服が。
例えば下着の引き出しは、ふたり分の下着がごちゃまぜに入っているんです。
 
 
 
それはふたりの「境界線がない」ことの象徴でもあります。
 
 
もともとは違う人間だったはずのふたり。そのふたりがべったり一緒になって敷いたルール。それはそれはもう強力でした。
 
 
両親のどちらか一方だけでも違う考えだったらまだマシだっただろうに、ふたりとも「○○家教の幹部」みたいな感じでしたから(笑)
 
 

物を通して自分と他人の「境界線」を守る

夫のもとに転がり込んだ時、こんなことも言われました。
 
 
 
「君用のバスタオルとフェイスタオル、茶碗とか買いに行こう」
「いや、使い古しのやつでいいよ? 何かあるでしょ?」
当時の私は意味がちっとも分かりませんでした、バスタオルや茶碗なんて何でもいい、どれでもいい、と思っていたからです。
 
 
 
これは「物」を新しく買うことで
君の居場所を僕の家に設置するよ、
君と僕の境界線を引くよ、
という態度だったんですね。
 
 
付き合い始めの頃の私はそんな自覚もなく、夫の所持品を勝手に使っては喧嘩になり、その経験を通して
「ああ、人っていうのは自分の物を勝手に使われると嫌なんだよな」
 
 
っていう当たり前の感情に気づき、取り戻せたのでした。
 
 
(「歯ブラシ」を勝手に使わないで! と父に訴えてもずっと無視されていたので諦めていた感情だった。)
 
 
その後夫の物を勝手に使いそうになっても「あ、そうだ、ダメなんだ、やめよう」
「確認してから使うんだよね」
と少しずつ思えるようになり、
 
 
物を使って相手の領域を尊重する訓練を繰り返すことで
「物を尊重することが人の領域を守ること。覗かないで信じる、自由にさせる」ことが健康的に暮らすために大切なんだな。
 
 
と実感できるようになったのでした。
 
 
 
そして物を尊重できるようになると、並行して他人の考え方や感情も尊重できるようになるんですね。
 
 
 
読んで下さりありがとうございました。