固定観念を捨てると、生きづらさが解消される
※この記事は2015年12月末に書かれたものに加筆修正したものです。
「固定観念」=して当たり前のこと。やらなければならないと思い込んでいること。自分へのイメージ。などなど。
それを見直して解消すれば、余計なことに労力を注がなくて済み、生きていくのが少し軽くなります。
固定観念を解消するには
1.固定観念=「して当たり前のこと」「やらなければならないこと」「自分へのイメージ」などをピックアップする
2.その固定観念について深く考えてみる
3.固定観念に感謝してさよならする
固定観念について深く考える
固定観念をピックアップしたら深く考えてみます。
「して当たり前のこと」や「やらなければならないこと」は「それ、やらないと絶対困るでしょ」という思い込みがあります。
今回の私の例では「時間は厳守しないといけない(もっと言えば1分1秒守れない奴はダメ人間である)」という固定観念です。
- 私の両親が「時間を守れないのはクズ」と私にいつも言っていたから、その恐怖を再生していただけだった。(門限1分でも遅れたら3時間『家族会議』という名の人格否定)
- 過去、父親が仕事に遅れた時に取引先からひどい仕打ちを食らっていたらしく。父親はその恐怖をそのまま子どもに伝えていただけだった。
- 困っていたのは「過去の父」だった。
- そしてその父に色々言われていた母も、時間を気にしすぎていてイライラしていた。その母の姿が嫌だった。それを脳内再生していただけ。
ああ、この固定観念、もう必要ないんだな、と思えました。きっちり時間を守る場面では守り、のんびりで良い時はのんびりと準備できる。そんな余裕が生まれてきたのです。
固定観念に感謝して
私には「情緒不安定でダメな人間」というとても強い自分へのイメージが刷り込まれていました。
子どもの頃って、気持ちを上手く言葉にできなくて泣いてしまったりすることがあるじゃないですか。それをみた母は私に「お前は情緒不安定、感じやすい扱いにくい子」と何度も言いました。
今ならわかるのですが、その言葉は母が自分の子育てを納得させるために使っていた言葉なんですよね。「(私はちゃんと育ててるのに)この子はおかしい」と思いたかった。
そして私もそれを演じることで「母親を守っていた」んだと思います。お母さんを悲しませたくないし、でも泣いてしまうし、じゃあ(お母さんの納得できる)「情緒不安定な子」でいようって。はっきりと自覚していた訳ではないですが。
なのでその「子どもの頃からの自分のイメージ」も捨てていいんですね。ただ母親ひとりの見方だけを信じて生きていくことはない。辛いイメージなら捨ててしまえばいいんですね。
そしてこれらの固定観念を捨てる時に、感謝をして捨てると良いとどこかの本に書いてありました。その固定観念は今まで「自分を守ってくれたもの」なのです。実家での変な規則や考え(=固定観念)を守らなければ生きてこれなかったからです。
また、固定観念を捨てる時は
- 「紙に書いて破って捨てる」という視覚的な方法
- 頭の中で紙ヒコーキ(固定観念)が空に飛んでいくイメージ
などで捨てると良いそうです。
もう必要ない固定観念たちにありがとう、幸せになるね、と言ってさよならすると、固定観念を探すことが前向きで楽しい作業になります。固定観念がひとつ減ることで、ひとつ生きるのが楽になるからです。
最後に私が探した固定観念のリストをあげてお話を終わります。
- 料理を作らないと「私はダメな母親」
- 子どもと遊ばないのは「ダメな母親」
- お金を稼げないと大人ではない
- 私の一挙一動が主人の体調に影響を与える
- 大掃除しないと正月を迎えられない
- おせちを「作らないと」伝統を伝えられない
- 年末は実家や義実家に帰らなければならない
- おしゃれじゃないといけない などなど。