嫉妬という感情が教えてくれるものー2.嫉妬を向けられた時


嫉妬って感情も、大切な感情の一部。向き合えば学ぶことがたくさんあります。
自分自身を成長させてくれるヒントが隠れている。
受け入れ、向き合ったことで自分が楽になれた。
そのことについてお話しますね。

 

1.誰かに嫉妬を感じた時
2.誰かに嫉妬された時(←現在のページです)
3.そして、もう一歩踏み込んで考えてみて…

 


嫉妬を向けられた時

基本放っておく。のが一番いいんです。

 

けど、そう簡単にはいかないですよね。

 

で、
「相手にどう思われるかはどうでもいい」という開き直りの境地には簡単に到達できないけれども、そもそも「相手が何を欲しがっているか」というのは完全に相手の問題と考えてみる。
前ページで嫉妬=欲しいものがある、と書きました。)

 

なので「そこ(相手の嫉妬)は、そもそも(嫉妬される私が)入ってはいけない領域」なんだと認識する。
すると「嫉妬うんぬん」という話が少し冷静に考えられる。

 

なので嫉妬されて色々言われることを気にすることもないし、相手の変な要求や意見を呑むこともない。自分の欲しい物と向き合ってどうしていくかは完全に相手の問題。
「ああこの人は自分の欲しい物が何かきづけてなくて、さらに自分がそれを手に入れられないと信じ込んでいるんだな」と思うことにする。(そう思う練習をする)

 

嫉妬する相手にあまり構わないでいれば「誰かを嫉妬し続けたいだけの人」は離れていく。
(嫉妬する・されるという関係が「好きな」人は、当然だけど反応してくれる人が必要だから。)

 

と同時に「嫉妬されて嫌だった」という気持ちは必ず受け止めて吐き出す。思考で出来事を整理することと、感情は別。感情をきちんと処理します。
 
 

嫉妬されるような「自分の要素」について

それを無理に隠そうとすることもないと思うんですね。

 

 
前提として、ひけらかす人は嫉妬されたいのだから(無意識にも)ひけらかす。

 

例えば財産・学歴・恋人(配偶者)・子ども。
自分自身のことではなく自分自身のいわば「持ち物」で自分を表現する人。
それをムリに相手に誇示する人は嫉妬されるような自分が必要だし、逆を返せば「自分に自信がない」。
嫉妬したい人嫉妬されたい人の需要と供給が安定しているので、そういう関係の中にはまずムリ入っていかない。
気づけたなら抜け出す。そうしないと一生嫉妬するされるの関係地獄。。

 

そして以前の私は完全に「嫉妬されたい人」だった。
(特に何か秀でたことがあるわけじゃないが)母親が私の全てを嫉妬した。私にとっては慣れた行動だった「嫉妬されること」。いわば歪んだ私の安全基地(笑)。
ワケもわからないまま自分の「周りのもの」をどんどん相手に話していた。初対面だろうが何だろうが。

それは無意識に「自分自身(=毒親問題・絶縁・自信のなさ)」を覗かれるのが嫌だったからだと思う。そんな怖いことよりは「自分の周りのもの」を人に見せて「嫉妬」という(自分自身を覗かれるよりまだマシな・慣れた)視線の中に居たかったのかもしれない。「どうぞ私を嫉妬して下さい」

 

(だからといって周りの人たちすべてが私を嫉妬しているわけでもないですけれど。)

 

そして自分自身の周りの持ち物や人間関係をわざわざ持ちださずとも、
その人自身の自然と出てくる内面の「良さ」、例えば「笑顔が素敵」「話し上手」「聞き上手」「誠実」「素直」「勉強好き」「向上心がある」「口数は少ないけど迂闊なことは言わない」や「外見(自分ではどうにもできない領域)」「目がカワイイ」「モデル体型」などなど。

 

そこを嫉妬する人はほんとう沢山いる。
だからそこは隠そうとせずむしろ出すべきところで「嫉妬する側」の人に合わせていたら自分の良さが潰れてしまう。さらにそこを素直に「いいね、素敵だね」って言ってくれる人を遠ざけてしまう(隠すのだから)。

 

なので「自分自身の周りにあるもの」を話すことは極力やめ、
自分自身の良い所(認識できてないところもあるし、そもそも10人いれば10人、私を見る目が違うので)自然な自分をできるだけ出す。
相手の気持ちは、あまり考えないくらいでちょうどいいんだな。と最近知りました。(上の「誰の問題」という考えがずいぶん私を楽にしてくれた)

 

そうして振り分けていく。私の良いところを嫉妬する人はあまり相手にしない。

 

読んでくださりありがとうございました。
続きで、嫉妬についてもう少し踏み込んで考えてみます。