親と付き合えないワケー2.生命や存在に対する暴言・暴挙


親との関係を断ってから早5年。親とどうして付き合えないのか改めて書いてみました。

 

2.私を大切にしてくれない人(生命や存在に対する暴言、暴挙)(←現在のページです)

 


私を大切にしてくれない親(生命や存在に対する暴言、暴挙)

例えばモノを買ってくれないとか、叩くことが多いとか、話を聞いてくれないとか、そういうこともありますけどもっともっと、根本的なところで、、、

 

私の「たましい」を踏みにじるような言動をする(してきた)ってところがやっぱり耐えられないところです。

 

貧乏だろうが多少厳しい親だろうが「そりゃ、いっちゃあならねぇぜぇっ」ってことを言われたらやっぱり付き合いたくなくなります。

 

言葉にするとこんな言葉。
「お前なんて産むんじゃなかった」
「お前のせいで親は不幸なんだ。不幸の源」
「お前は狂っている、おかしい人間、人間のクズ、なにをやってもどうせうまくいかない」
「(私がとても好きな事や物に対して)そんなものはくだらない、そんなものが好きだと言う奴はおかしな奴。親の趣味や考えのみが至高のもの」
「(されて嫌だったことを訴えたら)そんなことあった? (事実の否定)お前は妄想癖」
「病気になる奴はできそこない」

 

子どもの頃は悔しい悲しいムカつくと思いながらも、「親ってこういうものなんだ、どこの家もこんなもんなんだ」という(親の言葉)を信じていました。
今思えば、ものすごくひどいことをやっていたなぁ私の親は。と思えますが当時はその「ひどさ」をたいしたものじゃないように思っていたんですね。

 

大人になって、親としばらく付き合っていた時期もありました。過去に大変なことなんて何にもなかった、私とあなたたちは愛情に満ち溢れた親子関係だった、というふりをして過ごしてましたし、実際そういう変な空気が流れていました。私もそれにしばらくは酔っていられた。しばらくは。

 

……でも私に子どもが産まれて、私は変わった。

あんなこともあった、こんなこともあった。怒り狂う私。育児を通して思い出される過去の傷。何もなかったふりなんて、やっぱりできなかった。
だって自分の子どもに、とてもそんなこと言えないと思った。よく言えたな、その神経がわからない。余計怖くなった。

 

また、自分の好きな物や好きな事を全否定されたことで「思い出」「経験」「時間」というものを奪われたことが、今思うととてもひどいことだと思うようになりました。
自分の好きなことを素直に好きと言えない、楽しめない。長い人生の中に「楽しみをみつけるな・親の認めることだけをしろ」というのは「生きながら死んでいろ」と言っているのと同じことのように私には思えるのです。

 

遠く離れて暮らす両親を思い出すとき「怖い・近づきたくない・頼れない・何を言われるかわからない・どう扱われるかは気分次第」ってどうよ?
お母さんは、厳しいけど助けてくれた、とか、お父さんは仕事で忙しかったけれど優しかったとか、、そんなホンワカする印象じゃないってどうよ?

 

…近づきたくない。関わりたくない。そういう印象を与える存在って、、、これからの私の人生に必要?

 

そして人間関係は鏡。
関わりたくないような人間と関わっている姿を見せ続けていたら、きっと子どもも学ぶ「自分の考えや感情より、嫌なことをしてくる人の考えや感情を尊重し続けろ」「自分の判断より、道徳や世間体を大切にしろ」。
そんなん嫌だ。。。子どもを奴隷にしたくない。

 

私のことを大切にできない人。そんな人とは付き合えない。

 

読んでくださりありがとうございました。