毒親と普通親の違い その3 子どもと距離を取れる
※この記事は2018年3月に、毒親と普通親の違いについて追記した記事です。
最近の検索ワードで一番多いのは「毒母」ですが、それとともに増えているのが「普通の親」っていう検索ワードです。
『毒親と普通親の違い その1』、『毒親と普通親の違い その2』もページビュー数が増えてきています。
「毒親」って言葉はわかった。でもじゃあ「普通の親」って何なんだろう。っていう疑問が皆さんの中に湧いてきているんですね。
「普通の親」っていうのはざっくり言うと「子どもを精神的に健康に育てている」親のことを指すと仮定します。
(「普通」っていう言葉はあまり好きではないのですが、話を分かりやすくするためにこの言葉を使いますね)
そして前提として忘れてはいけないのが「普通」と「毒」の間にも様々なコントラストがあるということです。
○(普通親)×(毒親)にハッキリ分かれるわけではなくて。
「微毒」みたいな親もいるでしょうし、「猛毒」みたいな親もいるでしょうし。
「普通」の部類に入る親だってたまには「毒親」みたいなことをしてしまうでしょうし。
誰かにとっては「普通親」でも誰かにとっては「毒親」ということもあるでしょう。
それぞれの親で「程度もある」ということを踏まえてお話を聞いてくだされば嬉しいです。
もくじ
- 親が、本人の望みに応えてきている(メリット>デメリット)
- 親が過去の間違いを認めて、謝っている
- 子どもの弱いところ、失敗を受け止めてきている
- 子どもと程よい距離が取れる(現在のページです)
子どもと「距離」を取れる親
……これだけで、とてもステキなことができる親だなぁって思ってしまいます。
「距離がとれる」ってことは子どもの「世界」を尊重しているってことですから。
「距離を取る」ことに対して多少の意見やもめ事等あったとしても最終的に「親と離れることを」許す・認める事ができるのは素晴らしいことです。
(そもそも人間関係において「距離を取る」ことに「誰かが認める・許す」ってこと自体ナンセンスなんですけれど。距離が取りたければ勝手にとっていいはずなんですよね。人間関係は相互関係ですから。)
人間関係にも「良い時・悪い時」があって「ほどほど」に付き合えばいいことを知っている。
いつも「べったり」いつも「敬って」いつも「仲良し」でなければ許さない! という雰囲気ではない。
「相手にも事情があるんだろう」と思って放っておける。
そう思った出来事があります。
それは義母さんと夫の関係なんですけれど、
そりゃ夫だって人間ですし「母さんウゼ」って思う時期もあるんですよね。
それで実際、夫もあまり連絡取らなかったり家に来ないでくれって言ったりする時期がありました。
でもそこで義母さん、怒らないんです。(そりゃ、多少のもやもやはあるんでしょうけど。)
あ、そう。わかったわー、みたいな感じで自分の趣味に没頭する。
そこで「親を何と思っているんだ! お前は何様だ! 子どもは親を敬うもんだろう! 何で連絡しないんだ」とか言わない。
「どうして離れたいと思うの? 理由があるでしょう、理由を言いなさい」とか言って詰め寄ってこない。
私の親のように毎日毎日5-6回電話をかけてきて、留守電にしていればテープが一杯になるまでメッセージを入れる(昔の留守電はカセットテープでした)ようなことはしない。
数日電話に出ないと、突然やってきたりしない。「お願いだから帰って、ひとりにして」と言ったら、ドアをバンバン叩いて近所への恥さらしをしたりしない。合鍵を勝手に作って部屋に入ってきたりしない。
「電話、毎日かけてきて欲しくないんだけど」「はいはいわかった」→次の日普通に着信があったりしない。
……。
今思えば「ほどほどに距離を取ってくれれば、私も絶縁までには至らなかったのでは」と思うことが多々あります。
私だってごくたまに「親と復縁していいかもしれない」と思うときもあるんです。
思うときもあるんですけれど、復縁したら「毎日5-6回着信、絶対に出ないといけない」って暮らしが復活すると思うとそれだけで「やっぱ復縁いいや(笑)」って思ってしまうんですよね。
いつもいつも変わらぬ態度でいつもいつも親のことを想ってなければいけない。
親の「子どもと関わりたい」という欲求を拒否してはいけない。
それじゃ、子どもは健康に育たないんですよね。
相手の領域を尊重する。相手の意見を尊重する。そういう態度がある親っていうのは自然と「距離を取る」っていうことができるんだろうな、と考えます。
読んで下さりありがとうございました。
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